||Φ|(T|T|)|Φ||    監獄☆日記    ||Φ|(T|T|)|Φ|| -32ページ目

平成16年6月14日(月) 勾留35日目

 今日は、保険金詐欺の裁判の日だ。

 2回目の公判、罪状認否のみということで、けっこう落ち着いている。

 

 男も勾留満期が近く、徹底的にドタバタしている。

 午前中は刑事調べ、午後は地検送致のうえ検事調べ、帰ってきてからまた刑事調べだそうだ。

 いわゆる「作文」といわれる、警察・検察調書を一切作らせないので、長期化しているのである。


 運動の時間、前回私の実況見分の写真を撮った鑑識の人がいたので、挨拶をした。

 機動隊出身だそうだ。

 「この世を花とするために 鬼にもなろうさ 機動隊」という字と、般若の顔がプリントされたTシャツを着ている。

 

 午前中、調べを1本。

 出る前に、看守に弁護士を呼んでくれるように頼んでおいた。

 

 

 【過去の過ちを振り返って】

 

 刑事の質問に答えていくと、それを刑事がパタパタとパソコンで打ち込んでいく。

 できあがったものは、「今日は、私が○○をした状況についてお話しします」「今日は○○についてお話しします」として、自分が進んで話をしたようになっている。


 「作文」と呼ばれるゆえんだ。


  すでに警察が集めた証拠に基づいて話が組み立てられており、それに都合のいい自供をさせるというのが、いちばん実情に近い。


 もちろん調べの冒頭には、「じゃあ言いたくないことは言わなくていいっていうのは前回と同じで」というような、「黙秘権の告知」はあるし、「読み聞かせられて間違いがないことを認める」という意味の、署名指印(しょめいしいん)はある。


 しかし被疑者には、「この刑事(検事)に逆らうと、情状(求刑)が重くなるかもしれない」という強力なバイアスが掛かっているし、実際に「お前なあ、そんなこと言って裁判官がどう思うよ?」というような、自白の誘導とも取れる発言もある。

 こうした状況の中で、疲労困憊した被疑者が誘導を拒み、また署名指印を拒否するというのは、被疑者にとって非常に難しくなっているのだが、実際に裁判で自供を翻したりすれば、「じゃあ何で署名指印したんだ!」と、検事に怒鳴り飛ばされるのがオチである。


 また余罪があって署名指印を拒否しているというようなケースの場合、再逮捕を繰り返し、いたずらに勾留期間を長引かせる捜査手法もある。

 私の隣の房にいた人は口を割らなかったところ、5回も再逮捕を繰り返された。


 「調書」を基にした裁判は、一面では裁判の迅速化に寄与するものであるが、反面「えん罪を生む温床」でもあるため、「取調べの可視化」「弁護士の同席」「ビデオでの録画」といった社会的な要請があるが、警察は強硬に反対している。

 

もちろん私には、自分を正当化するつもりも、自分が悪いのに否認する人間の肩を持つ気持ちも、毛頭ない。

 しかし被疑者の権利も犯罪者の人権も、生まれながらにして日本国民に存在する権利の一部なのであって、これらの権利を軽視することは、ひいては自分の人権を軽視することと同じなのだということについては、指摘しておきたい。



 【 昨日のコメントにお答えして 】

 

 読者数の推移をみるに、暫減していってるので、「理由は何だろう?」と、真剣に考えています。

 コメントをくださった方が、「もうあきた」とおっしゃっているのだから、やっぱりそうなのでしょう。

 ただ、「男」が「退屈に耐える」というように、留置場というのは、極限の退屈さの中にあるのです。

 逆説的ですが、「日記の退屈さを楽しむ」ことが、このブログの意味でもあるのです。

 とはいえ今後、裁判も始まるし、中国人・ガーナ人・ホームレス・17歳を妊娠させたとび職など、多彩な登場人物も出てきますので、ご興味のある方はご期待ください。

平成16年6月13日(日) 勾留34日目

 男は、中身もかなり充実しているようだ。

 保険金詐欺は金銭的に困窮しているため、毎日の菓子すら満足に買えない。

 

 それを見越して、自分の菓子のほとんどを、男は保険金詐欺にあげてしまった。

 それも15時に、「房で大便をする」と、取調べの刑事に嘘をついてまで、わざわざ戻ってきて、だ。

 

 召喚状と弁護士の選任通知が来た。 

 第1回公判期日は8月2日10時。

 2ヶ月も先とは・・・・・・。

 

 

 【国選弁護について】

 

 

                  shokanjo

                          公判期日召喚状

                           (クリックで拡大)

 

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平成16年6月12日(土) 勾留33日目

 今日は男に、パソコンとインターネットに関する教えを請われた。

 「今回はパソコンを覚えて帰る」のだそうだ。

 

 ほとんど知識のない人間に説明することは大変だったが、驚くほど飲み込みが早く、実に的確な質問を返してくるのには、吃驚した。

 

 人間は、ソフトとハードからなるのかもしれない。

 姿形をハードだとするなら、その人間の思想や行動様式はソフトだ。

 保険金詐欺も、同年輩の警察官と、一見して変わらない。

 じゃあ何が違うのかといえば、両者を動かすソフトウェアなのである。


 今、男にねだって買ってもらった文庫本、東野圭吾「白夜行」を読んでいる。

 デタラメに長いし、しかも飽きさせない超大作で、贅沢な暇つぶしだ。

 

 うるさい看守に、「なんで人の本持ってるの?」と、宅建問題集とテキストを取られた。

 悔しい。

 

 

 【過去の過ちを振り返って】

 

 私はもともと神経質なたちで、しかもここ5~6年来の不眠症なのだが、環境の激変でまったく眠れなくなってしまった。

 人付き合いというのはもともと気を使うものだが、留置場では極めて高いコミュニケーション能力が要求されるということは、簡単に想像がつくだろう。

 昨日までまったく見も知らない人間が、24時間、プライバシーがまったくない状態で、顔をつき合わせているのだから。

 俺は今正常だろうか? 気が狂うんじゃないか? という不安が、尽きることがなかったのがこの時期だ。

 

平成16年6月11日(金) 勾留32日目

 ヤクザが私のことを、「人種が違うからヤクザと関わることは、今後も多分ない」と言った。

 確かに、これは重要な示唆に富んでいる。

 

 普通に生活していれば、ヤクザはどこにいるんだろうという感じだが、しかしそういう接点は、確実に存在する。

 そういう接点に近づくのは案外簡単で、「深夜の飲み屋」とか「パチンコ屋」とか「薬物」とか、そういう場所に点在しているのだ。

 そして自分の側が、例えば詐欺とか踏み倒しだとか恐喝だとか債権回収だとか、そういうイリーガルなことを考えている人間だった場合には、まるで化学反応でも起こすかのように両者はかみ合わさり、それは悪の道へと続き、その結果「逮捕」や「服役」といった、まるでよからぬ事態へと発展していくのである。

 

 今日はまた、署の3階で実況見分だった。

 特定商取引法違反は、昨日、裁判の日程と国選弁護人の選任通知書が送られてきている。

 私のほうが1日あとに起訴されているので、ならば私にも今日来るかと思っていたのだが、まだ来ていない。

 

 

平成16年6月10日(木) 勾留31日目

 ヤクザにキャバクラの女が面会に来ていた。ツケを取りに来たらしい。

 しかし弁護士接見を除き、1人1日1組(1組は3人まで同時に面会可)15分しかできないので、会ってしまうと後から来る内縁の妻に会えなくなってしまう。だから、断っていた。

 

 昨日の健康診断で処方を願い出た件について、担当の巡査部長が来た。

 昨日来た医師は、2週間前に来た病院とは違うところから来たので、初診料を取られるのだという。

 そうなれば財政逼迫のおり、上層部ひいては県議会から突っ込まれてしまうということなのだった。

 生活保護受給者が逮捕される場合がもちろんあるが、収監された時点で保護打ち切りとならなければならないはずが、まれに引き続き支給され、二重取りが発生するケースもあるのだという。

 

 「監獄等に留置されている間は、傷病手当金を支給しない」という健保法の規定が、今となってはもう、ずいぶん遠く感じられる。

 この規定の趣旨は、懲罰等ではなく、「そこでご飯が食べられるから支給の必要はない」ということであったが、理解がより深まったようだ。

 苦笑するしかない。

 

 ついに、勾留が丸1か月を超えた。

 昨日までまったく見も知らなかった人間が、この狭い房に押し込められ、起居を共にしているのだ。

 いまだに、信じられない。

 

 

平成16年6月9日(水) 勾留30日目

 今日は健康診断の日だ。

 私は、ジルテックの代わりに処方されたアレジオンの効きが悪いこと、ムコダインを継続してほしいことを申し出た。

 他に処方を願い出た薬は、ドグマチール・マイスリー・フラビタンorシナール、ミヤBM錠orラックビーである。


 私の尊敬する現代の錬金術師北村庄吾は、知識をカネに変える、違う、「知識を知恵に変える」と言った。

 

 私は自身がかなり長い入院をしていたことがあるし、病院に勤めていたこともあるので、薬についてはかなりの種類を知っている。しかし、これはただの「知識」だ。

 これを、どうすれば「知恵」に変えることができるだろうか。

 効能面で私は、「ここで健康と体調を維持するため」と、「留置場生活をしやすくするため」に、薬をチョイスした。


 ここには他に30人超の被留置者がいるが、そういう芸当ができる人間は、私のほかにまずいないだろう。


 留置場も取調べも拘禁も、私にとって、まったくの未知の世界だ。

 そして味方も信じられるものも、文字通り、自分しかいない。

 私は私の知識と経験と本能をフルドライブさせ、毎日をサヴァイヴしている。

 

 私の知識は、知恵に変わっているだろうか。

 


 

 【過去の過ちを振り返って】

 

 留置場段階では薬をもらうことができるが、拘置所では医官の診察を受けさせてはもらえるものの、投薬はかなり厳しいとのことだ。

 今年の判決で、10年来飲み続けていた抗うつ薬を、拘置所で一方的に中止されたことにより症状が憎悪し、房内に雑巾を持ち込んで隠し、それを飲み込んで自殺した被拘置者に対し、「抗うつ薬の突然の中止は誤りであった」「房内に持ち込んだ雑巾を発見できなかったのは過失であった」として、遺族に国賠を命じたものがあったはずである。

 

 男に聞いた話で、拘置所での医官とのやり取り。

 「どっかわりいとこあんのか、おお? 言ってみろ」

 「胸糞がわりいな、胸糞に効く薬くれ」

 「ほかにわりいとこねえのか、おお?」

 「お前の根性がわりいな、お前の根性に効く薬くれ」

  

 仮に「医師免許」という国家資格を持つ人間が、こういう口を利いていいのかと呆れていた。

 

 

 【拘置所での肛門検査】

 

 収監時、腸内に物を隠していないかどうかを調べるために、全裸で肛門検査がある。

 4列に並ばされ、刑務官の「うしろむけー! ケツひらけー!」の号令で、尻を開いて肛門を見せる。

 そこに刑務官が、ガラス棒を差し込んでゆく。 

 「ヒャッとするんですよね、ヒャッと!」と、経験者が言っていた。


 

 【現代の錬金術師 北村庄吾】

 

 ボーナスをゴニョゴニョして健康保険料をムニャムニャするツールを開発したり、企業に確定拠出型年金制度を導入したり、ファイナンシャルプランナーだったり、予備校講師だったり、週刊誌を売ったり、年金問題の一般書を書いたり、とにかく話題に事欠かないスーパー社労士。

 最近ではテレビによく出ているので、知っている人も多いだろう。

 行く先々で金脈を探し当て、掘り当てる才能とセンスは、神がかり的と言っても過言ではない。

平成16年6月8日(火) 勾留29日目

 宅建のテキストが差し入れられた。正確には、男にだが。

 私の親族が差し入れをしてくれないのを知って、「何か欲しい本があったら言って」と、私の代わりに奥さんらしき人から受けてくれたのである。

 だから正確にはそれを借りるという形だが、とてもうれしい。

 なにせ時間だけは、腐るほどあるのだから。

 入れられた本はテキストとは呼べない、基本書以前の入門書であるが、ぜいたくなど言えようはずがない。

 貪るように読んでいる。

 

 洗面の立会いに来た刑事が、「いやーここは涼しくていいね」と言うので(他の部署はまだらしい)、「代わってあげましょうか?」と答えたら、ムッとしていた。

 

 

 【日本にも戦前、陪審裁判があった!】

 

 戦前から戦中の一時期、日本でも陪審員制度が取り入れられたことがあった。

 しかしそれは、実施後15年で頓挫した。理由は、「国風になじまない」というものであった。

 「国風」とは、何だろう?

 奉行所に端を発する近代日本の裁判は、「お上」がするもので、庶民は関わるものではない、という意識が強かったのだろうか。

 民衆が、自分たちの力で民主主義を獲得したことがない国民性という点からも、説明されたりする。

 それもあるだろう。

 しかし私が思うのは、戦中モノがなく、食うや食わずといった状態で、誰が他人の裁判に関わるほどの経済的、精神的余裕があっただろうか、ということである。

 当時に比べ、生活は比べようがないほど豊かになったし、人権意識も、また権利意識も発達・発展し、裁判員制度の基礎的土壌は整っている。

 だが経済面では、どうだろう。経済情勢の低迷と混迷という点では、往時をしのばせるものがある。また雇用形態も、複雑化の一途をたどっている。

 そうしたなかで、例えば日給月給の人間が、「他人の裁判に出れば自分の給料が減る」という事態になるとすれば、誰が好き好んで赤の他人の裁判に関わろうとするだろうか?

 それを補うのはやはり、「雇い主は裁判員に選ばれた人間には有給休暇を与えなければならない」「裁判員になることで不利益を与えてはならない」といった、労働法上の法整備も重要なのではないかと考える。



 【今日の雑感】

 

 最近カタい話題が多いですね…。

 「論じるつもりはない」とか書いときながら、論じちゃってるし。

 しかも社労士試験には何の関係もないことばかり…。

 中小企業のタコ社長相手の社労士という資格者目指してる人間が、天下国家を論ずるっつーのはナンセンスだよなぁ。

 

平成16年6月7日(月) 勾留28日目

 ひげそり、爪切り、耳かき。平日ならではの特典だ。

 今日からやっとエアコンが入った。6月1日からという話もあったのだが、財源不足による節約の徹底で、それも遅れた。

 

 平日は手紙の受発信もできる。私は待っている手紙があるので、それも待ち遠しい。

 しかし受発信については中を検閲されるし、「発信お願いしまーす」と出した手紙についても、実質的な投函は翌日となり、結果として先方への到着が遅れることになる。

 これも「不自由さ」ということの、ひとつの表れである。

 

 待っている手紙というのはほかでもない。「保釈融資申込」の返事である。

 しかし世の中にはいろいろな商売があるもので、これは「利息を取って保釈金を貸す」ビジネスである。

 保険金詐欺のところへ、「新聞に載ったのを見た」という福岡の業者から、DMが来たのだ。

 保釈金とは、起訴後から判決までの間を家で過ごさせる代わりに、身代金として裁判所に預け入れる金のことであり、逃亡せずちゃんと出頭すれば全額返還されるので、貸すほうとしてはリスクが少ないといえる。

 聞くところによれば、保釈金は普通のサラリーマンでも150万は必要とのことで、金がない人は保釈申請できず、留置場で過ごすことになる。

 

 それを借りようというわけだ。

 年利29.2パーセントという出資法上の最高利率ではあるが、こんなところにいつまでもいるよりは、よっぽどマシだ。

 保険金詐欺も、「手紙来たら見せて」と乗り気である。4ヶ月居ても、やはり監獄は嫌なものらしい。

 しかし今日、私に手紙は来なかった。

 

 そして午後、久しぶりに調べがあった。余罪を3週間に1度のペースで、3件検事送りにするという。

 当然ながら、その間の保釈は認められない。

 いったい私は、いつになったら出られるのだろう?

 

 

 【過去の過ちを振り返って】

 

 自分にまとまった額の預金があればよかったが、それもない。

 兄の嫁さんが結構金を貯めこんでいるらしいので、それを貸してもらおうかとも思っていたのだが、兄の手紙に怒りの返事を書いたことで、それも頼める状態ではなくなった。

 留置場で一文無しでは、みじめな思いをすることは、以前にも書いた。

 起訴前からつけられる私選弁護士を頼んだり(頼んだこともすぐやってくれたり、弁護活動も精力的だ)、力のある検事出身の弁護士を頼んだり、保釈が認められたりするのも、結局はカネだ。

 「地獄の沙汰もマネー次第」は真実だし、 ♪ お金は大事だよ~

 

 

 【力のある検事出身の弁護士】

 

 いわゆる「ヤメ検」といわれる、検事出身の弁護士がいる。

 ヤメ検は、刑事事件にめっぽう強い。警察・検察とツーカーだし、捜査機関のやり方を熟知しているからだ。

 私の検事調べのとき、担当検事にヤメ検の弁護士から電話がかかってきた。当然ながら、依頼を受けた事件を「不起訴にせよ」という圧力だ。

 電話の会話を聞いていたが、「共犯は犯行を認めていて、目撃者が証言をしてもよいと言っていて、否認しているのは本人だけ」という状況だそうだ。

 私の検事調べが終われば、あとは月報の〆めがあるだけで、その日の検事の仕事はもう終わりだそうで、ヤメ検が区検まで検事に会いに来ることになり、検事はそれを恐縮して受けた。

 副検事は元検察事務官だから、ヤメ検は元の上司だ。また司法試験合格者であるヤメ検には、検察事務官採用試験を通っただけの副検事は、引け目を感じるだろう。

 こうした力関係の構図の中で、黒はグレーになり、グレーは白になる。

 そしてその色を変えうるのは、まぎれもないカネの力なのである。

 

 

 【月報の〆め】

 

 検事の成績考課のひとつに「月の起訴件数」があるため、「月末には起訴が立て込む」というウワサがある。

 本来なら起訴不起訴は、事案の内容や情状などにより決められるべきで、むやみに社会復帰を困難にする犯罪者の烙印(スティグマ)を押すべきではないとする、これが起訴便宜主義の本旨だ。

 このウワサが本当だとすると、現代日本社会の不条理であり、不合理であり、闇だ。

 ただ、裁判員制度の導入を目玉とする司法制度改革は、この闇の部分にも光を当てる可能性がある。

 裁判員制度が成功するか否かは、制度に臨む国民の姿勢にかかっているといっても、過言ではないだろう。

TB法科大学院

 司法制度改革の一環である法科大学院の意味は、「プロセスによる養成」ということだ。

 

 旧来の法曹三者(裁判官・検察官・弁護士)の選抜方法は、超難関の司法試験を通っただけの「結果による選抜」だった。

 このことは常識を欠いた判決を出す裁判官や、モラルに欠けた弁護士の出現といった弊害を生み出した。

 

 これを、「司法試験合格という結果に向けた努力」から、「法曹の養成のためのプロセス」に変えようというのが、法科大学院制度である。

 

 裁判員制度もそうだが、法科大学院も、非常にいい制度だ。

 「結果オーライからプロセス重視へ」、「結果平等から機会平等へ」という、社会構造の変化も具現している(少なくとも法科大学院が機会平等かというと、これは怪しい。入学には多くの金が必要だし、入学者の中でも目立つのは医者だ)。

 

 試行錯誤の段階を過ぎ、実際にロースクールで養成された法曹が世に出はじめれば、結果は目に見えるようになってくるだろう。

 

 余談だが、私の国選弁護人は、ある法科大学院で教えている教員だった。

 しかしながらその弁護人は、接見のときに、「弁護士はカネもらわなきゃ動かないからぁ」と言ったのだった。

 教えている人間がこれでは(以下略)

平成16年6月6日(日) 勾留27日目

 男は、だいぶ話してくれるようになった。

 かつてはボクシングと少林寺拳法をやっていたらしい。

 私が筋トレをしていると、部位別の効果的な鍛え方を教えてくれたりする。

 

 ひどく蒸し暑い。エアコンは入らない。

 「節約せよ」との、上からの大号令だという。

 

 母親に、大変な心配を掛けてしまっている。

 それだけはひどく気掛かりで、昨夜なかなか寝付かれなかった。

 

 檻や塀の内側と外側は、明らかに別の世界で、内側に入ると外で抱えていた自分の問題が、どうやら客観的に見られるようになるようだ。

 外側の世界を、「シャバ」と呼ぶゆえんだ。

 

 私と母の間には、確執がある。

 もちろん恨みつらみはあるが、感謝しなければならなかったことには、当然感謝しなければならなかったはずだ。

 

 長生きしてくれ、と、祈った。

 私はまだ何一つ、親孝行をしていない。

 

 

 【過去の過ちを振り返って】

 

 看守にもかつてボクシングをやっていた人がいて、「腹殴られてたんで、いまだに時々血便が出る」と言っていた。

 「拳をボクシング以外で使ったことありますか」と尋ねたら、「う…、それは言えないな…」とのことだったが、実は警察に入って以後、上司をぶん殴ったことがあるそうである。

 上司のやり方や職務態度にどうにも納得がいかず、その上司のさらに上司のいる前でぶん殴った。

 当然事情聴取されたが、殴った彼の言い分ももっともという結論になり、「上司は左遷」「本人は異動」という形での決着だったという。

 なかなか警察も粋なことやるじゃないかと思ったが、まあ不祥事には違いない。

 年齢の割に彼の昇格が遅いのは、多分そのせいだ(彼は巡査長、ヒラ巡査の1個上。無試験で自動的になれる)。

 

 

 【警察はなぜ堕落したのか】

 

 警察官の警察官に対する取調べは、本来苛烈を極めるという。

 監察制度というのが、言ってみれば警察の警察だ。

 この本の著者、黒木昭雄氏は元警視庁の花形警察官(自動車警ら隊所属)であったが、あまりに優秀すぎる成績のため副署長に嫉妬され、あるささいな内規違反(それも解釈によるが)から、監察官の取調べに遭う。

 執拗な内偵捜査のあと、朝方に本庁に強引に出頭させられ、窓のない取調室で、監察官から依願退職の言葉を引き出させられたという。著者はこれを称して、「警察官への取調べに人権はない」と言う。

 今までにも、元警察官の著作というのはあるにはあったが、その多くは不祥事を起こして辞めさせられた警察官がうっぷん晴らしに書いたような、警察批判本や内情暴露本であったりしたが、本書はそれらの著作とは一線を画する。

 精密な論考と冷静な筆致で描き出される「警察」像は、文句なしに面白い。

 特に、「警察学校での洗脳教育―ロボット警察官はどのようにつくられるか」の章は、必読である。



警察はなぜ堕落したのか

 

黒木昭雄 ホームページ

『警官は狙いを定め、引き金を弾いた』がweb上でタダで読めます。おすすめ)