平成16年6月14日(月) 勾留35日目 | ||Φ|(T|T|)|Φ||    監獄☆日記    ||Φ|(T|T|)|Φ||

平成16年6月14日(月) 勾留35日目

 今日は、保険金詐欺の裁判の日だ。

 2回目の公判、罪状認否のみということで、けっこう落ち着いている。

 

 男も勾留満期が近く、徹底的にドタバタしている。

 午前中は刑事調べ、午後は地検送致のうえ検事調べ、帰ってきてからまた刑事調べだそうだ。

 いわゆる「作文」といわれる、警察・検察調書を一切作らせないので、長期化しているのである。


 運動の時間、前回私の実況見分の写真を撮った鑑識の人がいたので、挨拶をした。

 機動隊出身だそうだ。

 「この世を花とするために 鬼にもなろうさ 機動隊」という字と、般若の顔がプリントされたTシャツを着ている。

 

 午前中、調べを1本。

 出る前に、看守に弁護士を呼んでくれるように頼んでおいた。

 

 

 【過去の過ちを振り返って】

 

 刑事の質問に答えていくと、それを刑事がパタパタとパソコンで打ち込んでいく。

 できあがったものは、「今日は、私が○○をした状況についてお話しします」「今日は○○についてお話しします」として、自分が進んで話をしたようになっている。


 「作文」と呼ばれるゆえんだ。


  すでに警察が集めた証拠に基づいて話が組み立てられており、それに都合のいい自供をさせるというのが、いちばん実情に近い。


 もちろん調べの冒頭には、「じゃあ言いたくないことは言わなくていいっていうのは前回と同じで」というような、「黙秘権の告知」はあるし、「読み聞かせられて間違いがないことを認める」という意味の、署名指印(しょめいしいん)はある。


 しかし被疑者には、「この刑事(検事)に逆らうと、情状(求刑)が重くなるかもしれない」という強力なバイアスが掛かっているし、実際に「お前なあ、そんなこと言って裁判官がどう思うよ?」というような、自白の誘導とも取れる発言もある。

 こうした状況の中で、疲労困憊した被疑者が誘導を拒み、また署名指印を拒否するというのは、被疑者にとって非常に難しくなっているのだが、実際に裁判で自供を翻したりすれば、「じゃあ何で署名指印したんだ!」と、検事に怒鳴り飛ばされるのがオチである。


 また余罪があって署名指印を拒否しているというようなケースの場合、再逮捕を繰り返し、いたずらに勾留期間を長引かせる捜査手法もある。

 私の隣の房にいた人は口を割らなかったところ、5回も再逮捕を繰り返された。


 「調書」を基にした裁判は、一面では裁判の迅速化に寄与するものであるが、反面「えん罪を生む温床」でもあるため、「取調べの可視化」「弁護士の同席」「ビデオでの録画」といった社会的な要請があるが、警察は強硬に反対している。

 

もちろん私には、自分を正当化するつもりも、自分が悪いのに否認する人間の肩を持つ気持ちも、毛頭ない。

 しかし被疑者の権利も犯罪者の人権も、生まれながらにして日本国民に存在する権利の一部なのであって、これらの権利を軽視することは、ひいては自分の人権を軽視することと同じなのだということについては、指摘しておきたい。



 【 昨日のコメントにお答えして 】

 

 読者数の推移をみるに、暫減していってるので、「理由は何だろう?」と、真剣に考えています。

 コメントをくださった方が、「もうあきた」とおっしゃっているのだから、やっぱりそうなのでしょう。

 ただ、「男」が「退屈に耐える」というように、留置場というのは、極限の退屈さの中にあるのです。

 逆説的ですが、「日記の退屈さを楽しむ」ことが、このブログの意味でもあるのです。

 とはいえ今後、裁判も始まるし、中国人・ガーナ人・ホームレス・17歳を妊娠させたとび職など、多彩な登場人物も出てきますので、ご興味のある方はご期待ください。