||Φ|(T|T|)|Φ||    監獄☆日記    ||Φ|(T|T|)|Φ|| -3ページ目

あけましておめでとうございます

 新年あけましておめでとうございます。

 皆様に新年のごあいさつをさせていただくのも、これが3度目となりました。


 元日である今日、面接のために保護司さんのところへ行ってきました。

 年の瀬で何かとバタバタしていた私は、12月初旬の面接以降すっかり保護司さんに連絡するのを忘れてしまっていて、気にかけてくださっていたようです。心配するお電話を頂戴しました。

 

 老夫婦である保護司さんのところへは、とりたてて訪問者もなく、元日でもこころよく迎えてくださいました。

 おせち料理も、ふるまってくださいました。

 ひとり暮らしの私は、気分ばかりの「緑のたぬき」で年越しそばを済ませ、100円ショップで買った正月飾りをあわただしく大晦日に下げただけの正月だったので、お心遣いが大変胸に沁みました。

 

 保護司さんが作るおせちは、全部手作りだそうです。

 形どったハス、たけのこ煮、やつがしら煮つけ、きんぴらごぼう、なます、黒豆…。

 やつがしらはちょっと口に合わず、難渋しましたが、おいしくいただきました。

 

 「連絡カード」の余白がなくなって、新しい連絡カードが届いていました。

 観察期間終了日の日付が、今年の日付になっていました。

 執行猶予の期間が終わることを、私はなによりも心待ちにしています。

 

 皆さまに、よき年が訪れますように。


 本年も「監獄☆日記」を、よろしくお願い申し上げます。




                    osechi

12月7日

 その日はサエキさんにとって、エポックメイキングになるだろう。

 インターネットが開通するのだ。

 

 PC譲渡に先だって私は、サエキさんからの悲痛なメールを受け取っていた。

 「日帰り手術をしたのですが、4日連続のタクシー通院でお金が持ちません。何か家で出来る仕事を探してもらえないでしょうか」

 

 サエキさんは糖尿病で足の先が腐ってきてしまうので、腐ってきたところを手術切除したり、新たに皮膚を移植したり、そんなことを延々繰り返しているのだ。

 

 生活保護だっていくらなんでも通院の交通費は出るだろうと思った私は、その旨返信した。

 帰ってきた答えはこうだった。

 「交通費は出ないんじゃないの?」

 

 とりあえず私が調べたところ、ネット上にはこうあった。


 生活保護受給者は自家用車の所有が認められていないため、通院の際にタクシーを使用した際は、定額の生活扶助費とは別に交通費が全額支給されている。実際には、タクシー会社が代金を一時的に立て替え、後日、タクシー会社が自治体に料金を請求している。

 

 なんと恐ろしいことに、彼は4月に退院してから今までの分のタクシー代を含めた交通費と、包帯・ガーゼなどの治療材料費を請求せずに、自腹で支払っていたというのだ。

 福祉事務所でも、交通費について何1つとして教えてくれなかったらしい。

 

 「できますよ」と返信すると、彼は「福祉事務所に連絡する」と書いてきた。

 その後聞いたところによれば、領収書を捨ててしまったりもともと貰っていなかった分を除いては、無事支払われたようだ。

 

 請求忘れの「特別支給の厚生年金」がいい例だが、知らないと損をすることがある。

 損をするだけならまだましで、場合によっては命に関わることもある。

 「何かについて知る」ということについて、インターネットは有効な手段の1つだ。

 

 「自立」ということは、経済的な自立だけではないと思う。

 「誰かに聞かずに何かを正確できる」ということも、ある意味での自立だろう。

 サエキさんの肩越しに、あの場所での「男」の姿を見ている私は、ある程度まではサエキさんの手助けをするだろうがさすがに彼の手足や親兄弟の代わりにはなれない。

 また本当の親兄弟にしても、親が生きているうちはまだしも兄弟には自分の生活があるし、彼に関わってばかりもいられないだろう。

 だからいずれにしても、時期の早晩はあれ、彼は情報的に自立する必要があるのだ。

 

 田舎の木造アパートの6畳間からネットに接続できたからといって、それですべてが解決するとは思わない。

 ただ、いま彼に必要なことの1つは外部につながる ということでもあると思う。

 

 たぶん彼は全角と半角の区別もつかないし、かな入力とローマ字入力の違いもわからないだろうし、AltもTabもCtrlも知らないだろう。

 そういう意味で最初から苦労の連続だろうが、ワードやエクセルも含めてとりあえずパソコンを使えるようになれば、また別の道が開けてくるのではないか。

 障害者の法定雇用率というのがあるから、身体障害者手帳を持っている彼は、私よりよっぽどいいところに就職できる可能性すらあるのだ。

 

 開通したら知らせてくれるだろう。

 私はそれを楽しみにしている。

 

PCリサイクル

 サエキさん とは時々メールのやりとりをしている。

 なんだか彼はあまり素性のよさそうな人間ではなかったから、保護観察中の我が身としては関わりを持つことに慎重だったが、実際の彼は私にとって、まったく無害の存在になっている。

 なにせまだ歩けないのだし、目も悪いし、腎臓が悪くて救急車でたびたび病院に担ぎ込まれていたりするようだから、「害」になりようはずがない。

 

 実はまだ、向こうが4月の末に大学病院を退院してからというもの、1度も会っていない。

 先日互いの都合が合って、ようやく会おうかという話になったが、雨が降って流れてしまった。

 まだ杖なしでは歩けないから、雨が降ると傘を差して杖をつくのでは、危なすぎて歩けないのだということだった。

 

 実際には会っていないが、宅配便で、私はサエキさんに使っていないノートパソコンをあげた。

 始めは「ネットをやるにはNTTの電話を引かなきゃならないし、大変だからいらない」と言っていたのだが、私が「NTTの回線を引く必要はないし、字も大きくできる」と言うと、もらう気になったようだ。

 

 私がサエキさんにパソコンをあげようと思ったのは、それがおそらく自立のためには最短の道だからだ。

 歩けないし目が見えなくて内臓が悪いという人間が就業できるのは、軽作業しかない。軽作業のうちでも、授産施設のようなところでの作業ではなく、まだ若い人間がある程度の金銭を手にするためには、「デスクワーク」につくのが、おそらく最良だ。 

 ところが彼にはパソコンのスキルがまるっきりなく、しかも生活保護の受給中で、親族とは縁遠く、このままでは自分のパソコンを手にできる環境には、「一生」ない。

 パソコンのスキルを身につける機会がないということは、ある意味で今のような最低限の生活が一生続くことを意味しているわけで、それでパソコンをあげようと思ったわけだ。

 

 あげたのは2001年の冬モデルという今となってはオンボロで、液晶は色あせていて暗く、「P」のキーがなくなっている古いものだが、Pentium3の1GHzだし、OSもXPだしで、いちおうは使える。

 そういえばこれは警察に押収されたもので、留置場まで一緒に旅をした相棒でもある。

 愛着はあるが、無駄に手元に置いておくよりは、私としてももう一花咲かせてほしいところだ。

 

 (つづく)

ビッグダディⅢ(3)

 今日の新聞に、ビッグダディを観ての感想が2つ載っていた。

 ◆父親を見て育つ (静岡県・主婦・51歳)

  9月25日の「4男4女9人大家族 ”痛快ビッグダディ”」(朝日)は、男手ひとつで8人の子供を育ててきたビッグダディの筋の通った威厳と行動力と心根の優しさがあった。

 子供たちが協力し合い、素直でしっかりした考えを持っているのは尊敬できる父親を見て学び成長してきたからだろう。

 元妻に復縁を望まれても頑として拒む父。母親に会えて喜びいっぱいの子供たちが両親を気遣い接する様子に感心した。

 

 ◆ビッグダディとは (埼玉県・主婦・48歳)

 「4男4女9人大家族 ”痛快ビッグダディ”」は考えさせられる内容だった。元妻が新たに3人の子供を連れて戻ってきた時、父親・清志さんはどうしたか。

 復縁することはなかったけれど、元妻のためにキャンプを催したり、アパートを折半で借りたり、まさに”ビッグダディ”そのものだった。

 母親と3人の妹たちを見送るときに泣き出した4男の優しさも心に残った。新しい門出に幸多きことを祈る。

 

 

 ま、最初の投稿には私も同感だけれど、2つめに関しては微妙である。

 もともと同じ両親から生まれた妹がすでにいるわけだし、そこにある程度成長した(父親の違う)女の子たちが来れば、その子と自分との関係性を納得するまでには、さらにもう少し時間が必要だろう。

 その三つ子を、安易に「妹たち」と呼ぶのは、大人のご都合主義と傲慢である。

 

 それに、元妻が作ったしょうが焼きを食べて、三男は「ここ(三つ子の1人)達のお母さんの料理おいしいですね」と言った。料理を作った人は自分の母親ではなく、三つ子のお母さんという認識なのだ。

 たとえ実の母親という認識であったとしても、夫と子供たちを置いて出て行った人を、苦労した張本人であるビッグダディの前で即座に「お母さん」と呼ぶことは憚られる。

 そのことについて最初の投稿者が「両親を気遣い接する様子」と書いたのなら、この投稿者は慧眼である。

 

 キャンプを催した意味はよくわからないが、確実に言えることは「元妻のためではない」ということだ。

 「お金があればもっと違った時間の使い方をするんだけどな」と言っていたから、おそらく三つ子を含めた子供たちと自分自身の「レジャーのため」だ。

 アパートを折半で借りたのだって、「元妻のため」にそこまでしてやる義理はない。

 大ざっぱに言えば、三つ子と自分の子供たちのためだろう。

 ただそこまでしてしまうのは、やっぱりビッグダディの人のよさなんだろうなぁ…。

 

 突堤でビッグダディは「もともとがこういう人間なもんでここには落ち着く」と言っていた。

 「こういう人間」とはおそらく、「人との深い交流が好きで、それが性に合う」ということだ。

 だからこそ「大家族」を好むのだろうが、ビッグダディの秀でているところは、その反面の「面倒見のよさ」がしっかりと同居しているところだ。

 面倒見の悪い人間が生むだけ生んで面倒を見ないと、どこかの家族のようになるのである。

ビッグダディⅢ(2)

 私がこの番組を好ましく思っていたのは、スタッフがビッグダディ一家と、常に一定の距離を置いていたことだ。

 タレントがノコノコと人様の家族に乗り込んでいって、居酒屋で家族会議を開催するようなどこぞの番組 など、愚の骨頂である。


 しかし今回、番組は元妻に「身勝手妻」とレッテルを貼り、そのうえ島を離れてからの彼女の行動を追い、考えを聞きだし、「ビッグダディには黙っていて」という要請を受け入れた。

 「身勝手なわがままで家族を振り回した自分をどんなに悔やんでも悔やみきれません」というナレーションまで入れた。

 すべて不要な演出である。

 ビッグダディの生きざまで見せる(魅せる)この番組には、ビッグダディ以外の視点は必要ない。


 あくまでもビッグダディの考えと判断を尊重し、カメラとスタッフは常に第三者としての視点を保つ。

 その好ましき部分が、ここへ来て揺らいでいるような気がする。

 

 しかしまぁ、年長の子供たちは本当にしっかりしている。

 突然再度押し掛けてきた母親を、三男は母親だからという理由ですぐに家に上げることなく、「ちょっとタイム。まず状況を教えて。なんでこっちに来たのか?」と玄関先で制した。

 二男も「おっ父知ってるの?」と聞き、黙って来たという母親に「でも一応言っといたほうがよくない?」という極めて常識的な判断をして、夜釣りで家を空けているビッグダディに知らせに行った。

 その後年長のきょうだい4人で会議(状況を把握しようとしたのだろう)をしたときに、長男はビッグダディを「清志さん」と呼んでいたし(父親を自分から分離し、客観視できていることの表れであろう)、もうすでに心理的な「親離れ」を果たしているのかもしれない。

 

 中3の長男は、母親を志望校である名瀬の高校に案内したときに、「ここの衛生看護科に進みたいのだ」と言った。

 おそらく将来は医療関係に就いて家計を助けるということのほかに、「資格を持っていれば食いっぱぐれがない」ということも、父親を見ていて学び、そういう戦略を立てたのだろう。

 

 人生には戦略が必要だ。

 

 中学を出てすぐに働くことは、目先の家計の足しにはなるかもしれないが、将来的な家族の支えや自分の人生の上で有利であるとは、私には思えない。

 その意味で、賢明な判断をしたこの長男は、実にクレバーである。

 

 離島の集落には、今回にも本当にウンザリするような光景 があった。

 彼我の区別がつかない、プライバシーという概念がない「ムラ社会」の光景である。

 

 突堤で訳ありの話をするビッグダディと元妻を、何人もの人間が見つめる。 

 うわさを聞きつけた何人もの人間が、ビッグダディに畳み掛ける。

 「奥さんと三つ子が来てるって?」

 「奥さん来てるっていうがね」「なんで急に?」「なんか3日ぐらい前に来られたって」

 「昔の奥さんが来てらっしゃるんですってね?」

  

 「ムラ」のDNAは、彼らに「人それぞれ」という視点を与えない。

ビッグダディⅢ

 ビッグダディⅢが放映された。

 今回の最大の見どころは、やはりビッグダディの「元妻」が島まで会いに来たことだろう。

 

 それに先立って「行きたい」という手紙が届いたとき、ビッグダディは「気に入らんな」と言った。

 それはそうだろう。この元妻は、手が掛かる極限の乳飲み子を含めた8人もの子供を置いて、出て行ってしまったのだから。「何をいまさら」という気持ちがしたに違いない。

 加えてただの「別れた妻」というだけの話ではない。なんとその元妻には、ビッグダディとの離婚後にできた三つ子(うち2人は弱視のようだ)がいたのだ。

 その三つ子の父親とは、別れたらしい。


 おかずが2品といういつもの食卓に加えて、テーブルには元妻が作った料理が並び、子供たちは喜んで手をつける。

 しかし、ビッグダディは箸を伸ばさない。

  

 突堤で釣り糸を垂らすビッグダディと2人きりになったところを見計らい、元妻は切り出す。

 「一緒には暮らせんかね?」

 ビッグダディは即座に返した。

 「なんで俺がまたお前と一緒に暮らさなきゃいかんのだ」

 

 私は心底、それでいいと思った。

 ビッグダディは離島の集落で8人と暮らし、元妻は地方都市で三つ子と暮らす。

 元妻が来てからのビッグダディの異様な緊張と疲労困憊ぶりを見ると、もうお互いの人生はこの先交わることなく平行線のままであったほうが、ビッグダディにはいいだろうと思ったからだ。

 

 事態は急展開する。

 元妻は、一度は名古屋の地元に戻ったものの、何やかやと理由をつけて、仕事まで辞めてまた奄美に戻ってきてしまうのだ。

 ビッグダディはひとつ屋根の下に寝ることなく、公民館で1人で寝る。

 

 突然再び押し掛けてきた元妻に対するビッグダディの感情を、番組は「怒り」「怒りのマグマ」と表現していたが、そうではないだろう。

 おそらくあったのは、「もうウンザリ」「もう絶対に関わりたくない」というテンションの低い感情だ。

 

 しかし、この夫婦には何があったのだろう。

 元妻はときどきビッグダディを「清志」と呼び捨てにしていたし(ビッグダディのほうが年上であるにもかかわらず)、ビッグダディは「お前に清志と呼ばれると今でもビクッとする」と言っていた。

 整骨院の患者には、「すごい気疲れするんですよ…」「気疲れっていうのともまた違うんだけどなぁ」「大体がおっかないもんじゃないですか女房って。家の中で」「その感覚がどうしても残ってるんですよね。そばにいるだけで…疲れちゃう」とこぼしていた。

 「友人の保証人になって借金を背負ったビッグダディが妻に逃げられた」という話は初回にあったが、しかし今回の番組を見ると、離婚届を出したのはビッグダディのようだし、しかもビッグダディは元妻に完全に愛想をつかしているように見える。

 

 「お前が一番失敗したのは、やっぱり出て行ったことだよ」と、ビッグダディは言った。

 「お前が出て行った時に1歳、2歳、3歳、4歳。それに5歳、6歳、7歳、8歳。」

 「そこから7年(自分1人で)やってきたわけじゃん」

 「(ここから)お前にかき回されたくないんだよ」

 

 結局、復縁・同居ということにはならなかった。

 事情を知らないムラ社会が復縁をはやしたて、テレビ局が面白い番組作りのために無言のバイアスをかけるなか、自分の意志を貫き通したことは、立派だと思う。

 

 ただし「退路を断った」元妻には戻るべき場所がなく、ビッグダディは結局、島内の小都市である名瀬に住むことを許可する。

 そこでの住居を診療所に改造して、経営する接骨院の分院とし、三つ子と元妻はそこに住まわせる。

 そして週に何度かビッグダディが通って治療を行なうというのだ。

 加えて、バスで1時間以上かけて名瀬の高校へ通う長女と、いずれ通うことになる2人を、そこに住まわせるのだという。


 「歩み寄り」という言葉を使っていたから、復縁を容認するような大きな心境の変化があったというわけではなさそうだ。

 ビッグダディとしてはおそらく、「苦虫を噛み潰すような」心境なのではないだろうか。

 

 ビッグダディは言う。

 「家族だと思いますよ。うーん。夫婦じゃないっていうだけで」。

  

 閉塞的な状況に、ビッグダディはまたもや突破口を開けた。

古田が引退だとか

 東京ヤクルトスワローズの古田兼任監督が引退だそうだ。

 まあ普通に考えても、プレーしながら指示を出すというのは大変だろうと思う。

 

 明日(19日)に正式発表があるようだが、ここで古田の行く先を予言してみる。

 

 選手引退だけではなくて、成績低迷の責任を取って監督業も引責辞任だというから、スワローズフロント入りの目はない。

 ではどうなるか?

 

 私はズバリ、テレビ朝日の解説者ではないかと思う。

 テレ朝は、とにかく古田の「気を引こう」としていたフシがある。


 NANDA? では何週にも亘って「名選手の思考方法」みたいな企画で持ち上げていたし、極めつけは六本木ヒルズ社屋のアトリウムを、古田の「2000本安打全打席」みたいなパネルで埋め尽くしていた。

 

 もしテレ朝から引退後はウチで解説者に、というオファーがあったとしたら、あんなに派手にやられては、古田本人も断りづらくなるのではないだろうか。

 それが私が「古田はテレ朝の解説者になる」と予想する理由である。

晩飯をご馳走になる

 今日は保護司に、晩飯をご馳走になった。

 夕飯時ではあったが、別に狙って行ったわけではない。

 

 おかずは、メザシ・イカの一夜干し・キュウリの漬物・ゴマ豆腐だった。

 年を取ると、いくら夕食でも肉類が減ってくるという。

 保護観察が始まったころ、保護司は64歳だったから、いまは67歳である。

 

 「これだけ食べれば今日はもういいでしょ」と言うが、それは寝るのが早いからだ。

 私が寝るのは遅いから、何かもう少し食べるかもしれない。

 

 私が犯罪を犯して保護観察中だということを知っている人は少ない。

 そのことを知った上で普通に接してくれる人は、もっと少ない。

 おそらく保護司は、その意味では唯一の存在であると言ってもいいかもしれない。

 

 私には老齢の母がいるが、母が私について理解しているとも知っているとも思えないし、今さら伝えようとも理解してほしいとも思わない。

 

 だが保護司には、私の「何か」が分かってもらえるのではないか、本当のところを伝えられるのではないかというほのかな期待があって、それは希望になりうるものだ。

 

 

利尿剤?

 ソフトバンクのガトームソン投手が、ドーピング禁止薬物である「フィナステリド」を服用していたとして、ガトームソン本人に出場停止20試合と、球団に制裁金750万円が課されることになったという。

 

 フィナステリドとは成分名であって、商品名はプロペシアであり、実は私も飲んでいる

 私が飲んでいるのはインドのシプラ社というところが、米メルク社の特許を無視して勝手に作ったコピー品であるフィンペシアだが。

 

 フィナステリドはドーピング禁止薬物リストの分類では、「利尿剤およびその他の隠蔽物質」というカテゴリーに分類されていることから、報道では「利尿作用により、筋肉増強剤を早期に尿中に排泄させ痕跡を消す作用があるから禁止」とされている。


 しかしこれは間違いなのではないか?

 私の理解では、「もしテストステロンを摂取しても、それが分からなくなるから禁止」ということだからだ。

 この理屈では、利尿作用にはまったく関係がない。

 

 テストステロンは筋肉増強作用がある男性ホルモンで、睾丸で産生されるが、化学合成されたものを服薬や注射などの方法で、人為的にも体内に追加できる。これがドーピングである。

 ここで、フィナステリドの作用機序を考えてみる。

 

 フィナステリドは、毛根を細くして脱毛しやすくさせる物質である「ジヒドロテストステロン」の、産生を抑制するものだ。

 ジヒドロテストステロンは、テストステロンの一部が代謝の過程で変換されて産生されるものだが、その変換は「5-αリダクターゼ」という酵素による。

 フィナステリドは、この5-αリダクターゼの働きを阻害して、テストステロンがジヒドロテストステロンに変換されるのを抑制しようというものだ。

 

 それはどういうことかというと、ドーピング検査においてはフィナステリドの服用によって、「体内のジヒドロテストステロン量から逆算してテストステロン量を推定するのを困難にする」ということを意味する。

 

 ややこしいが、例えば「通常はヒトの体内において10単位のテストステロンから6単位のジヒドロテストステロンに変換される」という統計があった場合、ある人の体内にジヒドロテストステロンが6単位残留していたら、もともとあったテストステロンは10単位だったということが逆算で推定できる。

 しかしフィナステリドが作用することによって、20単位のテストステロンからジヒドロテストステロンが6単位しか変換されないということになれば、ある人の体内にジヒドロテストステロンが6単位残存していたことをもって、「この人の体内にはもともと10単位のテストステロンしかないから、ドーピングについてはシロ」という断定ができなくなるわけだ(数値は適当)。

 

 だからフィナステリドが隠蔽薬として禁止されているのだと、私は理解しているのだが、本当のところはどうなのだろう。

 

 これを見ると 「利尿作用があるため禁止薬物である」という説明をしているのは、どうやらソフトバンク球団のようである。

 少しwikiでも触れているが(wikiリンク) 、しかしガトームソンの件について、フィナステリドの何が悪かったのかは書かれていない。 


 飲用するタイプの発毛薬としては、フィナステリドしかないのが現状である(飲用のミノキシジル錠というのもあるにはあるが、頭髪に限定せず体毛すべてを濃くしてしまう。またもともとが降圧剤として開発されたものなので、リスクが大きい)。


 「薬物に対しての認識が甘い球界」などと新聞には書かれていたが、だんだん少なくなってゆく髪の毛を前にして飲むなとは、ガトームソンが少しかわいそうだ。

 

 薄毛の人間は、発毛させるためなら、何でもやってしまうものだからである。

 なお個人的には、フィナステリドには、まったく利尿作用を感じない。

 コーヒーのほうがよっぽどトイレが近くなる。

自民党が負けた

 いや、自民が負けたことを喜ぶよりは、義家が当選してしまったことを悲しむべきだろう。

 最下位得票(翌日朝刊時点)ながら、ああいういい加減な人間が国会議員になってしまったのである。

 私たちは今後とも義家弘介参院議員が、どのような言行をしていくかを、注意深く観察していく必要がある。

 

 自民が負けたことは、私にとっては「ざまあみろ」という感じがする。

 自民党は義家を担ぎ出して「いじめ」を食い物にしたが 、自民党の大敗は、国民がその世論操作には引っ掛からなかったということだ。

 ある感じ方を強要されたり、そう感じるように誘導されたりすることには、非常な不快感を伴う。

 

 このところの新聞の自民党の全面広告には、あきれてしまった。

 「皆様の怒りや不安を希望に変えるのが自民党です」とあったが、怒らせ、不安にさせたのは誰だ。

 

 民主党が躍進するに当たっては、せっかく持ち直してきた経済の悪化が懸念された。

 しかし今日の日経平均の終値は、米国発株安の中にあるにも関わらず、5円上げた

 なんだか面白くなってきた。