PCリサイクル
サエキさん とは時々メールのやりとりをしている。
なんだか彼はあまり素性のよさそうな人間ではなかったから、保護観察中の我が身としては関わりを持つことに慎重だったが、実際の彼は私にとって、まったく無害の存在になっている。
なにせまだ歩けないのだし、目も悪いし、腎臓が悪くて救急車でたびたび病院に担ぎ込まれていたりするようだから、「害」になりようはずがない。
実はまだ、向こうが4月の末に大学病院を退院してからというもの、1度も会っていない。
先日互いの都合が合って、ようやく会おうかという話になったが、雨が降って流れてしまった。
まだ杖なしでは歩けないから、雨が降ると傘を差して杖をつくのでは、危なすぎて歩けないのだということだった。
実際には会っていないが、宅配便で、私はサエキさんに使っていないノートパソコンをあげた。
始めは「ネットをやるにはNTTの電話を引かなきゃならないし、大変だからいらない」と言っていたのだが、私が「NTTの回線を引く必要はないし、字も大きくできる」と言うと、もらう気になったようだ。
私がサエキさんにパソコンをあげようと思ったのは、それがおそらく自立のためには最短の道だからだ。
歩けないし目が見えなくて内臓が悪いという人間が就業できるのは、軽作業しかない。軽作業のうちでも、授産施設のようなところでの作業ではなく、まだ若い人間がある程度の金銭を手にするためには、「デスクワーク」につくのが、おそらく最良だ。
ところが彼にはパソコンのスキルがまるっきりなく、しかも生活保護の受給中で、親族とは縁遠く、このままでは自分のパソコンを手にできる環境には、「一生」ない。
パソコンのスキルを身につける機会がないということは、ある意味で今のような最低限の生活が一生続くことを意味しているわけで、それでパソコンをあげようと思ったわけだ。
あげたのは2001年の冬モデルという今となってはオンボロで、液晶は色あせていて暗く、「P」のキーがなくなっている古いものだが、Pentium3の1GHzだし、OSもXPだしで、いちおうは使える。
そういえばこれは警察に押収されたもので、留置場まで一緒に旅をした相棒でもある。
愛着はあるが、無駄に手元に置いておくよりは、私としてももう一花咲かせてほしいところだ。
(つづく)