ビッグダディⅢ(2)
私がこの番組を好ましく思っていたのは、スタッフがビッグダディ一家と、常に一定の距離を置いていたことだ。
タレントがノコノコと人様の家族に乗り込んでいって、居酒屋で家族会議を開催するようなどこぞの番組 など、愚の骨頂である。
しかし今回、番組は元妻に「身勝手妻」とレッテルを貼り、そのうえ島を離れてからの彼女の行動を追い、考えを聞きだし、「ビッグダディには黙っていて」という要請を受け入れた。
「身勝手なわがままで家族を振り回した自分をどんなに悔やんでも悔やみきれません」というナレーションまで入れた。
すべて不要な演出である。
ビッグダディの生きざまで見せる(魅せる)この番組には、ビッグダディ以外の視点は必要ない。
あくまでもビッグダディの考えと判断を尊重し、カメラとスタッフは常に第三者としての視点を保つ。
その好ましき部分が、ここへ来て揺らいでいるような気がする。
しかしまぁ、年長の子供たちは本当にしっかりしている。
突然再度押し掛けてきた母親を、三男は母親だからという理由ですぐに家に上げることなく、「ちょっとタイム。まず状況を教えて。なんでこっちに来たのか?」と玄関先で制した。
二男も「おっ父知ってるの?」と聞き、黙って来たという母親に「でも一応言っといたほうがよくない?」という極めて常識的な判断をして、夜釣りで家を空けているビッグダディに知らせに行った。
その後年長のきょうだい4人で会議(状況を把握しようとしたのだろう)をしたときに、長男はビッグダディを「清志さん」と呼んでいたし(父親を自分から分離し、客観視できていることの表れであろう)、もうすでに心理的な「親離れ」を果たしているのかもしれない。
中3の長男は、母親を志望校である名瀬の高校に案内したときに、「ここの衛生看護科に進みたいのだ」と言った。
おそらく将来は医療関係に就いて家計を助けるということのほかに、「資格を持っていれば食いっぱぐれがない」ということも、父親を見ていて学び、そういう戦略を立てたのだろう。
人生には戦略が必要だ。
中学を出てすぐに働くことは、目先の家計の足しにはなるかもしれないが、将来的な家族の支えや自分の人生の上で有利であるとは、私には思えない。
その意味で、賢明な判断をしたこの長男は、実にクレバーである。
離島の集落には、今回にも本当にウンザリするような光景 があった。
彼我の区別がつかない、プライバシーという概念がない「ムラ社会」の光景である。
突堤で訳ありの話をするビッグダディと元妻を、何人もの人間が見つめる。
うわさを聞きつけた何人もの人間が、ビッグダディに畳み掛ける。
「奥さんと三つ子が来てるって?」
「奥さん来てるっていうがね」「なんで急に?」「なんか3日ぐらい前に来られたって」
「昔の奥さんが来てらっしゃるんですってね?」
「ムラ」のDNAは、彼らに「人それぞれ」という視点を与えない。