みなさん本当に本当にありがとう。
23時過ぎに、保護司の家に行きました。
大晦日でもあるまいし、老人に夜更けまで起きていてもらうのは気が引けたのですが、私がそう希望したのです。
よもやま話に花が咲きました。
2週間に1回保護司と面接しなくてもよくなる「仮解除」が、結局私の場合なかったというと、「成年の場合はまずない」という話でした。
少年刑務所から出てきた少年の場合には、3ヶ月くらいで解除になるということでしたが…。
途中で、ご亭主がトイレに起きてきました。
「ご挨拶したい」と言うと、保護司が「お父さん」と呼び止めてくれて、ご亭主は私の正面にパジャマ姿で座りました。
いろいろお世話になりました、と頭を下げると、「まぁ本人の力だと思うよ」と言ってくださいました。
「1人ではここまで来られなかったと思います。いろいろと先生(私は保護司をそう呼びます)に、事あるごとに話を聞いていただけたから…」と言うと、「あなたは真面目だからきっとこの先はだいじょうぶだと思う。強く生きていって」と、静かに言われました。
はい、と返事をすると、「じゃあ」と77歳のご亭主は、寝に戻って行かれました。
23時55分になり、NHKテレビをつけました。
時報を見るためです。
2人とも黙りがちになり、所在なくテレビを見つめていました。
手元の電波時計に目を落とすと、2分前。
4年前、勾留されていた警察署を釈放されて挨拶に戻ったとき、再任用されて留置場係をしていたオッサンに、「4年もつかぁ?」と笑いながら言われたことを思い出して、もったよオッサン、と毒づきました。
やがて番組が静かにフェードアウトして、画面が切り替わり、ニュースが始まり……。
アナウンサー。
「日付が変わり、○日になりました。ニュースをお伝えします」
私は1つ、静かなため息をつきました。
保護司は一言、「おめでとう」と言いました。
少しだけ話をして、すぐに席を立ちました。
翌日の仕事に障るからです。
ガラガラと玄関の引き戸を開け、保護司に向き直り、「ありがとうございました」と頭を下げました。
保護司は、いつもと違う一言を言いました。
「もう、自由なのよ」と。
静まり返った夜道に自転車をこぎながら、「自由」の意味について、考えました。
俺にとっての自由とは、何だろう?
「2週間に1度」の面接を、受けなくてよくなったこと。
「遵守事項」を守らなくてよくなったこと。すなわち善行を保持しなくてよくなったこと、いやこれは違うな。
1ヶ月以上家を空けるときに、保護観察所の長に届けなくてもよくなったこと。
「心理的な引け目」が、いくぶん緩和されたかもしれない。
そんなことを考えながら家に着いたときには、4年前には分かっていなかったことを、深く実感できていました。
自由と責任は常にセットである、ということです。
家に帰って寝るときにも、翌朝起きて仕事に行くときにも、帰ってきてからも、数日が過ぎてからも。
取り立てて、私の心境に変化はありません。
過去からの道を、引き続きゆっくりと、未来へと歩いていくだけで。
ただこの4年間、逮捕勾留期間を含めれば、5年近い時間で学んだことを、少しでも生かせたらいいなと思いました。
これで「監獄☆日記」は、やっと終結です。
読んでくれた皆さん、あたたかいコメントを寄せてくださった方々、
本当に本当に、ありがとうございました。
心残りは……。
ビッグダディの評論ができなくなることかな(笑)
私は、がんばって生きていきます。
皆様にも、よきことが雪崩のごとく押し寄せますように。