北京五輪が閉幕した。
北京五輪が閉幕した。
それほど熱心に見ていたわけではないが、終わってみると、虚脱感だけが残っている。
勝つ、あるいは善戦すると思っていたものが、アッサリ負けたからだ。
星野JAPANにしても然り、オグシオにしても然り。
サッカー日本代表にしても然り、福原・平野ペアにしても然り。
それにしてもなぜ我々は、さしたる根拠もなく、彼らがメダルを獲って帰ってくると思ったのだろう。
第一義的には、マスコミの報道に踊らされたのだ。
星野JAPANには主将宮本を中心とした一体感がある、オグシオはかわいいだけじゃなくて強い、愛ちゃんは天才卓球少女、サッカー日本代表はトップ選手の集合体…。
好きな人だからあまり悪口は言いたくないが、星野監督も壮行会で「絶対メダルを持って帰ってくる」と言っていた。
欠けていた視点は、「彼我の戦力の冷静な分析」である。
「日本チームはA国と比べてこの点が勝っているがこの点は弱い」、「ここをカバーすれば勝機はあるが、そこを責められたら状況はまずいだろう」とか、そうした視点からの報道がなされなかったのである。
サッカーW杯のようなお祭り騒ぎでも、いつでも繰り返される、日本人のクセのようなものだ。
そうして盛り上がって、根拠もないのになんとなく勝てるような気がしてくる。
カミカゼが吹くかも、なんていう、妙な期待を抱いて。
結局負け戦に終わって、いま残っているのは「何だったんだろう」という虚脱感である。
こうして書いていて、自己嫌悪に陥ってきた。
実はあの戦争を経ても、われわれのDNAは何も変わっていなかったのかもしれないな、と。
そのくせ、こと経済に関しては悪い予測ばかりを並べたがる。
まだ起こってもいない経済不安を予測して、毎日不安がっている。
日本人のメンタリティって、いったいなんなんだろう。