安全幻想を広めた犯人
いま思いつくだけでも、いわゆる「健康番組」と言われるものは山のようにある。
た○しの本当は怖い家庭の医学、主治医が見つかる診○所、カ○ダのキモチ……等々。
するとその番組に、「医療関連産業」が、スポンサーとして大挙して群がる。
経鼻内視鏡を開発・発売したメーカー、痛くない注射針やプレフィルドシリンジを発売しているメーカー、国内・国外、先発品・後発品もろもろの製薬会社。
製薬会社にいたっては、直接に製品名を出したり、効能効果を謳ったりすると薬事法に触れるから、「こうした症状があったらお医者さんに行きましょう」とか、「うつは治る病気です」とか、婉曲かつ巧妙に自社製品の使用を促している。
番組においては「○○病の可能性もありますからぜひお医者さんで検査を受けてください」、CMでは「それは病気ですから服薬治療が必要です」と、視聴者は番組内容とあいまって、巧妙にその「病気に対する恐怖心」「健康に関する不安感」を煽られている。
しかし診察を受けたり、検査を受けたり、薬局で薬をもらったりすれば、それは財政出動を伴う。
要するに、ただでさえ困窮している医療財源を、さらにひっ迫させるわけだ。
国は、「がん難民」と呼ばれる人びとを出すほどにまで、医療財源の蛇口を絞りに絞っているから、国が現状の「安全幻想」の主導者であるとは考えにくい。
むしろ取り立てて症状もないのに、番組やCMを見て不安を煽られ、「病気ではないことを確認する」だけのために病院に行く人が増えて、「○○疑い」と病名が付いて、医療財源が湯水のように出て行く状況など、国は死んでも作りたくないはずである。
では、この矛盾する状況は何を意味しているのだろうか。
それはおそらく、「医療関連産業」の暴走である。
さらに言えば、外資系製薬会社の“たくらみ”から、日本の医療関連産業全体が暴走し始めたのではないかと私は考える。
私の記憶が正しければ、新聞の全面広告やテレビCMなどで、華々しく「お医者さんに行きましょう」などと宣伝され始めたのは、外資系G社のSSRI系抗うつ薬「P」からだ。
「P」の日本発売年は、2000年である。
それから雪崩を打つように、外資内資であるとを問わず、やれ爪の水虫だとか、高血圧だとか、慢性腎症だとか、社会不安障害だとかの医薬品や、内視鏡、注射針、充填済みの注射器などの広告が、あふれんばかりに登場するようになったのである。
そして前回述べたように、こうした一連の広告には、「医療に伴う危険性」は爪の先ほども述べられていない。
「どんどん病院に行きましょう」ということと、「医療は安全で健康を保証する」という刷り込み。
そう思い込んで病院へ行く人が増えれば増えるほど、薬剤の消費量は増え、検査機器や治療材料は売れる。
これが、現在の日本に蔓延する「医療安全幻想」の正体ではないか?
かつての日本人の価値観は、あくまで健康が日常で、病気は「非日常」だった。
平穏な日常の中で突発的に生じたトラブル、「病気」も「病院」も「医薬品」も、そうしたイメージだった。
それが現在では日常と非日常が逆転し、何らかの病気を疑いながら生活するのが当たり前になっている。
この転換点は、いつだったのだろう?
私は医療関係者ではないのでよくわからないが、医療関係(特に病院勤務)の方々は、「2000年ごろから」という感想をお持ちではないだろうか。
もしそうだとすれば、以上の仮説の信憑性は増す。
「医療安全幻想広告」を信じ込んだ国民が、「医療は安全で確実」との確信を抱いて病院を訪れる。
しかし現実の医療は、安心でもないし完全でもない。
その医療者と患者の間の「危険性の認識のズレ」が、かつては見られなかった類の数々の対立を生み出してもいるのではないか。
恐ろしいのは、財政出動を嫌うはずの国が、この状況をコントロールできていないことである。
メーカーにより人為的に作り出された「安全幻想」の中で、一線の医師が疲弊し、患者は患者でいら立ちをつのらせている。その意味では、医師も患者も「状況の被害者」なのである(厳密に言えば医師は患者が増えることで得をしているから、患者の被害のほうが大きい)。
「医療関連産業」を相手に、いくら意識の高い真面目な医師であっても、1人で立ち向かえるだろうか。
無理であれば徒党を組んで、「この状況はおかしい!」と声を上げてほしい(出入りのMRに愚痴るぐらいじゃダメですよ)。
繰り返しになるが、「医療は安全でもないし確実ではない」「そもそも医療は危険なものなのだ」ということを周知徹底させることにしか、現在の状況の打開策はない。
もしそれができなければ、この先に待っているのは、マイケル・ムーアの「シッコ」に描かれたような“医療制度の破綻”である。
医師がエビデンスのないことを嫌うのは承知しているが、この仮説について、ぜひとも感想をお伺いしたいと思う。