余命1ヶ月の花嫁
昨年の5月には(±)だった尿タンパクが、11月には(3+)になっていた。
蛋白定量という尿中のタンパク量を量っても、増えていく一方で減る兆しはない。内科では原因がわからず、診療所のかかりつけ医が地域中核病院の腎臓内科に紹介状を書いてくれた。それが11月末。
ところがいろいろとバタバタしていて、行かなきゃなと思いつつもずっと先延ばしになっていた。
サエキさんのこともあり、私はもともと腎機能障害に恐怖感を抱いていた。
正月に「タンパク尿」でネット検索すると、慢性腎不全だとかIgA腎症、人工透析といった不穏な言葉が続々と出てくる。
腎生検になるのかなとかもう手遅れじゃないだろうなとかいろいろ思いつつ、1ヶ月前の紹介状を持って腎臓内科を受診した。
結果は大きな異常はなく「一応詳しい検査もしますけど、体重を減らせば治ると思いますよ。薬も必要ありません」とのことだった。
そんなわけで、けっこうハラハラしながらこの1ヶ月を過ごしていたが、その合間になんとなく思い出したことがあった。
「余命1ヶ月の花嫁」 の話である。
母親を早くに亡くし父1人娘1人の家庭に育った女性。
23歳のときに乳がんを発症し、治療の甲斐なく24歳で夭折する。
死の直前、友人たちは元気付けようと女性が交際していた男性との結婚式を挙げさせることにする…。
そんな話だ。
かわいらしい私好みの女性で、あまり悪口はいいたくないのだが、それでもやはり「でも自分が悪いよね」と思ってしまう。
女性はすでに1度乳がんで手術を受けていて、その後社会復帰していたのだが、ある日体に変調をきたす。ところが再就職先の職場は忙しくずっと異変を放置していて、我慢しきれずやっと受診したときには、再発した乳がんがすでに末期状態だった。
ナレーションは「最後まで生きる希望を捨てず病魔と闘い続けました」と言う。本人も死の床で恋人に「生きたいよ」というメールを送ったりしていた。
しかし生きたいなら生きたいなりにもっと早くどうにかできたはずで、手の施しようがない状態にまで放っておいて、いざ手遅れになってから生きたいと言われても、周りだってどうしようもない。
病院に行ったら残酷な真実を突きつけられるかもしれないし、それを考えたら足が遠のいてしまう気持ちもわかるが、病歴を考えたら放っておけば悪くなることはあっても自然によくなるとは到底考えられず、いずれは自分で向き合わなければならないことだった。
当然するべきことをせずに自分でどんどん状況を悪くしてしまったわけで、はたしてこれは美談なのだろうか?
最近本が出たらしい 。
オビには「皆さんに明日が来ることは奇跡です。それを知ってるだけで、日常は幸せなことだらけで溢れています」と書かれているようだ。
たしかにそうかもしれないけど、でもあなたに言われてもね…。
だって自分が悪いんでしょ? もっと早く病院に行くなり、定期的にフォローするなりしていれば、助かったかもしれないんだし…。
がんになったのは不運としか言いようがないが、しかしその後の「余命」を決めたのはむしろ自分ではないか。
乳がんの既往があるハイリスク群でありながらも、定期受診などの適切なフォローをせずに放置したのがこの結果なのだから。
乳がんの早期発見・早期診断・早期治療の大切さを訴えるピンクリボンキャンペーン の関係者がこれを見たら、きっと怒るだろう。
TBSの厚顔無恥なところは、「ヤンキー母校に帰る」にせよ「余命1ヶ月の花嫁」にせよ、よくよく考えれば何の意味もない個人的な物語を、さも意味があるかのようにもったいぶって見せるところだ(昔の人はそれを「お涙頂戴」といった)。
勝手にヤンキーになった人間が更生して母校で教師になったのも、幸せを夢見ていた若い女性が自分の責任で手遅れで死んだのも、それは単なる個人的な出来事に過ぎないのであって、実はそこには何の意味もない。
こちらからすれば「勝手にやってろ」という話なのであって、遺されたお父さんが気の毒ではあるが、感動するような話ではない。
こんなものを「さあ泣いてちょんまげ」とばかりに見せられる視聴者は、ようするにバカにされているのだ。
ご本人も天国で反省されているだろうからこれ以上は書かないが、もしあの話に教訓めいたものがあるとするなら、「具合が悪いときには早めに医者に行きましょう」ということだけだ。
時間の都合や医療費などいろいろ問題はあるが、それはまた別の話で、とりあえず私は「医者は早めにかかろう」とあらためて思ったのである。