「告知」
先日私は、「死に近づいている人に対して真実を告げるべきか否か」という命題を掲げた。
医師である知人にその話をしたら、「それはそのままがん告知の問題でもある」と言った。
「正確な余命を告げられることで、深い抑うつ状態に陥ってしまう人が多い」
「口では『余命について真実を告げてほしい』と言っている人だって、そういう人が多い」
「だから、『何かやり残したことがある』という強い思いを持っていて、実際にそれをやることができる体力が残っている人でもない限り、最後まで希望を持ってもらうほうがいいと思う」
「それは最後まで、『自分は実際どうなんだろう。何だかよく分からないな~』という感覚でもいい。どうせ最後には意識がなくなっちゃうんだから」
「人間の心理はとても複雑」という前置きをしたうえで、こんな話をしてくれた。
アメリカの心理学者で何とかという人(名前を聞いたけど忘れた)は、セラピストとして何千人もの末期がんの人々を平穏な死に導いたそうだが、あるとき彼女自身が末期がんになった。
そして彼女自身がどうなったのかというと、なんと「周囲に悪態をつきながら死んだ」というのである。自分の運命を呪ったり、看護者にひどい罵声を浴びせたりということだったそうだが、それぐらい人間の心理というのは複雑なものなのだそうだ。
ALSの男性は、現在新薬の治験を受けている。
本当の薬と偽薬(プラセボ)を使われる可能性は五分五分で、医師も患者もどちらを使っているのか分からない「二重盲検法」という治験だ。
もしプラセボだった場合でもプラセボの投与期間が終わったあとに、本物の薬を使われるそうだが、それだけ新薬の投与は遅れるわけで、非常にリスキーなものだ。しかしALSが難病で、これといった治療法がないものである以上、そういうリスクも負わなければならない。
医師からは「もって5年」と告知されているという。
「俺の救いはもう70近くまで生きたということと、子どもたちはもう独立したし、女房も死んでいないということだ」と言っていた。
「でも、俺は10年生きてやろうと思っている」と強く言った。
ALSの進行で首から下の機能を全廃していながら、日本中を飛び回っている社長がいる。
大学院に入学した人もいるし、大学に入学してALSに関する論文を書いた人もいる。
私は本当に、これからもう一花咲かせてほしいと、本気で願っている。