本当に報道は正確なのか? | ||Φ|(T|T|)|Φ||    監獄☆日記    ||Φ|(T|T|)|Φ||

本当に報道は正確なのか?

 今日私が My clip した記事、「証言女性に非難の手紙届く 暴行の被告、秘匿住所知る」だけれども、検察は「検察側調書の弁護側への開示によって、弁護士を通じて伝わった可能性」を指摘して、記事は「刑事訴訟法上、開示の際、住所を被告に知られないよう配慮を求めることができる」としているけれども、本当だろうか?

 

 起訴状から知った可能性が大きいと、私は思う。

 起訴された後、留置場の本人宛てに裁判所から起訴状が届くが、当然そこには被害者の住所・氏名・年齢・職業等が記載されている。事実関係に証人が記載される場合もあるだろう(申出によりいつでも読める)。

 弁護人は、裁判での情状をよくするために、「被害者と裁判所に謝罪文を書くように」という指示をすることも多い。

 当然、事件関係者に手紙を送る際には、弁護人経由で送ることを前提としているが、別に直送することを制限できる根拠はない。それを逆手に取ったのだろう。

 というか、公判を経るうちに、「逆恨み」の気持ちが高まったのかもしれないし、記事中「偽証」と言っているように、単に「事実と違う」ことを、指摘したかっただけなのかもしれない。

 

 私の日記のエピソードにも、「謝罪文を書くには書いたが、弁護人を通さず被害者に留置場から直送してしまった中国人」が登場する。

 まず、現行制度上「被告人が被害者や事件関係者の個人情報を知ることは可能だ」ということ。

 第2に、「拘置所は手紙の受発信の際には、必ず検閲をする」ということ。

 起訴状を読むことで被害者の個人情報を知ることができて、書いた手紙は当局の検閲をパスした、ということになるのだから、一概に被告のみを悪いとすることは、できないのである。

  

 ところでこの一件では、加害者は証言者に対して、報復をほのめかしてはいない。

 ただ、「偽証は残念だ」ということを書いているだけである。

 それを性急に、報復への恐怖感と結び付けてしまうのは、論理の飛躍というものだろう。

 

 では、被害者が実際に「報復」される可能性はどうだろうか?

 いわゆるお礼参りの可能性は、どんな場合であっても否定できない。

 しかし、強要・脅迫を始め、物理的な危害を加えた場合には、その罪も成立する。

 その場合、裁判での情状は相当に悪いし、次は長期間の服役になる。

 当たり前だが、お礼参りは、加害者も相当の不利益を被る。

 コストとベネフィットの関係で言えば、お礼参りは明らかに割に合わない。

 ひとつには、これがお礼参りへの、大きな抑止力となっていると考えてよい。

 

 次に、矯正教育や保護観察制度などの、周辺環境だ。

 正常な社会復帰への矯正教育は、効果のほどは別にしてなされるし、再犯防止のための制度もある。

 これも単純な報復感情への、抑止力となりうる。 

  

 私にも被害者はいる。

 被害届を出した被害者に対して、畜生め、という気持ちは否定できない。

 しかし反面、「身から出たサビ」「自業自得」という道徳的な気持ちも、当然ながらある。

 

 また勾留中の人間は、自分のことには敏感で、「求刑がどれぐらいになるか」「情状面はどうか」「次の刑期はどれぐらいか」といったことを、驚くほど気にしている。

 刑務所に行くのは嫌だし、犯罪の自覚もあるということだろう。


 こういった事情を考慮すれば、割に合わない結果を予想しながらお礼参りを実行する人間は、犯罪者の中でもごく小数の例外で、これを基準に物事を考えることはできない。

 

 それでなければ、日本中はお礼参りの被害者であふれているはずだ・・・というのが、私の結論である。

 

                                               (この項加筆訂正しました)