平成16年5月28日(金) 勾留18日目
朝の運動後すぐに、調べがあった。
犯行時着用していた服についての調書を1本と、内心面を問答形式で記したものの調書を1本で、これで本件についての調べは終了となり、月曜の検事調べで起訴などの処分が決定する。
余罪は「追送致」という手続きに依るそうだ。
なげやりな意味ではなく、「どうにでもなれ」という気がする。それはよく言えば「どのような結果であろうが甘受する」ということだ。
警察に捕らわれた者は、文字通り「まな板の鯉」だ。
その生死を含めた全ての処遇や処分は、司直の手に委ねられる。
そして、今まで当たり前のように享受してきた、種々の「自由」を基本とした基本的人権の多くは、厳しく制限される。
この「不安定さ」と「不自由さ」に辟易せず、懲りずに繰り返す奴は馬鹿だ。
その昔太宰治は「縄目の恥辱」と書いたが、その意味も含めて、少なくとも私にはもうこりごりだ。
もう私はこの鉄格子と金網の内側に入ることは二度とないだろうし、そうあることを強く望む。
昨晩遅くに入ってきた男は寡黙に過ぎ、一言もしゃべらない。
しかし枕の位置を皆と逆にしたり、洗髪禁止なのに洗面台(小学校の手洗い場みたいだ)で洗髪したりするところをみると、監獄慣れしているのだろうか。
歯ブラシ歯磨きのトラベルセットと、石けん箱などを所持していたあたりは、長い漂泊を感じさせるに十分だ。足も垢じみていて、臭い。
朝の運動のとき、留置管理課長がこっそりと耳打ちしてくれた。
「しゃくに障ることを言うと、キレるタイプのようらしい。うっかり喧嘩になったりすると出るのが遅くなるから、くれぐれも気をつけなさい」。
警察庁ホームページより
(留置室前の洗面台。基本的に洗髪禁止。
左は看守台。通常は一段高くなっている。)
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【過去の過ちを振り返って】
両端の房は、看守台からは死角になるため、房内の様子が見えない。
よって両端の房には、知能犯や痴漢、窃盗、オーバーステイ、ホームレスといった比較的おとなしい人間が収容される。
逆に看守台から常時監視できる中央の房には、暴行や傷害、ヤクザや右翼といった、粗暴犯的な人間が収容される(実際ケンカ騒ぎを起こすのは常に中央の房だった)。
私がいたところの正面側に窓はなく、背中側通路にあるにはあったが、目隠しがされているので、外の風景は場内からは一切見えない。
警察署を外から見て、一部だけ窓が全面ふさがれている箇所があったとしたら、そこが留置場だ。