平成16年5月11日(火) 勾留1日目
朝7時までの仕事を終わり、吉野家で豚丼を食った。その後コーヒーショップで前回の答練の復習をした(労基法)。
8:30になるのを待ち、電車に乗って自宅のある駅に向かい、ほど近い床屋で髪を切った。
コンビニで昼飯を買って家に帰り、風呂に入ってシャワーを浴びた。
寝酒の缶チューハイを飲みながら北村庄吾のサイトを冷やかし、メールチェックをして、さあ寝ようかなとトイレに立ったときに、玄関のチャイムが鳴った。
「はい、なんでしょう?」
「ケーサツですが」
「はい?」
「警察ですが」
いったい何だろう? とドアを開けると、2人の男が立っていて、バタバタと玄関先を見回したあと、身分証を提示された。1人は、「○○県警」と書かれた小さめの段ボール箱を抱えていた。
「○○さん? ちょっとお伺いしたいことがあるんですが、上がらせてもらっていいですか」
「え、あの、散らかってるんで困るんですけど」
「じゃあ、表の車の中で話しましょう。うちらだってこうやって静かに来てるんだからさ、聞いてもらわないと」
向かいの駐車場に停められた1BOXの後部座席に乗り込むと、さらに2人の男が乗っていた。
「うちら○○県警なんだけどさぁ、××のことで、なんか心当たりない? △△とか」
「いえ。別に・・・」
「ホント? あるんじゃないの? □□とか」
被疑事実を告げられ、私には心当たりがあった。
「××ですか?」
「そう! あなたに間違いないでしょ。じゃあ、これから警察署に一緒に行ってもらいますから。着替えと、あと洗面道具持って。歯ブラシがない? いいよ、中でも買えるから。いまいくら持ってる?」
1万7千円です、と答えると、あ、それだけあれば十分だと言った。
今日、社労士試験を申し込むつもりで下ろした金だった。
途中、○○警察署を通りかかったときに、「うおっ、警察だ!」と、若い刑事が叫んだ。
やはり同業ということで、興味があるのだろうか。
運転手の刑事が、「寒くないですか」と気遣ってくれた(のちにこの人が、捜査二課長と知る)
警察署の取調室。
被疑事実と逮捕状が示され、「まあ形だけだから。じゃあ逮捕します」と、刑事3人が見守るなか、私の両手首にガチガチと手錠が下ろされた。
私は、逮捕されたのである。
【過去の過ちを振り返って】
今読み返しても、血の気が引く思いだ。
逮捕されたあとは、手錠は外してポケットにしまい、つけられた縄を腰に回され机に結び付けられる。
担当の刑事が席をはずして、その間別の刑事が話し相手になってくれたのだが、その人はいきなり靴を脱いで、それが臭かった。まるで拷問だ。
「心理的圧迫を加える捜査手法なんだろうか」と、本気で思った。
逮捕されて、まず取られる書類が弁録書と呼ばれる「弁解録取書」。
逮捕されての被疑者の第一声を記録する書類なのだが、なにぶん「弁解」である。
まるで言い訳を書き留められているようで、抵抗があったが、私は「1.逮捕事実に間違いありません
2.当番弁護士を呼んでください」と「弁解」した。
手錠は片手でガチャリと掛けるのではなく、両手でカチカチと掛ける。
「ガチャって掛けないんですか」と聞いたら、「そんなことやらないよ、痛いし。やってみる?」とのことだった。
(勾留された警察署全景)
鑑識の人が来て、それ用の小部屋に行き、写真撮影と指紋を取られた。
そのあと、留置場の入り口にある小部屋で、身体検査。パンツ一丁(パンツは金属探知機で調べる)。
持病はあるかだの武道の心得はあるかだの、そんなことを聞かれた。
「あなたは逮捕され、勾留されることになる。我々に刃向かったり、殴りかかったりすれば、それだけ勾留が長引くことになる。十分注意するように」という貼り紙があった。
服を着て腰縄手錠、毛布を渡される(敷いたり、掛けたり、枕にしたりする)。
6時半に留置場に入り、前かがみでひざから入房すると、3人いて、晩飯を終わった直後らしかった。
50代くらいのおじさんに、「じゃあ、メシ食っちゃってください」と勧められ、仕出し弁当の晩飯を全部食った。
「初めてパクられると1週間ぐらい飯が喉を通らない」と言っていたが、私の場合は平気だった。
若い男が、「何やったんですか」とうるさい。
もう1人は、中国人のようだ。
食べ終わって横になると、すぐに睡魔が襲ってきた。何しろ前日は寝ていない。
8時ごろから房ごとに順番に出され、歯磨き。就寝前点呼があり、午後9時、消灯。
右も左もわからない。とりあえず、よく眠れた。