平成16年5月20日(木) 勾留10日目 | ||Φ|(T|T|)|Φ||    監獄☆日記    ||Φ|(T|T|)|Φ||

平成16年5月20日(木) 勾留10日目

 本来なら今日が実況検分の日で、AM9:30~と刑事さんにも聞かされていた。but.検事のところへいくという。

 9:30~11:30 座して待つ。 11:30~12:00 検事調べ。 12:00 昼食(片手錠)。 13:00~14:45 座して待つ。 14:45~15:30 検事調べ。 15:30~17:30 座して待つ。

 

 警察調べがある程度進んだら、それを元に検事が検察調書を作る。それが繰り返されることになり、そのための出頭なのだが、各被疑者がバラバラに連れてこられるわけではなくて、管内の警察署を巡回して、数十人がまとめて連れてこられる。だから、必然的に待ち時間が長くなる。

 

 ここにも時計はない。30分で看守が交代するから、何人交代したかでだいたいの時間を推し量ることになる。10人替われば5時間だ。

 約6時間、鉄格子の小部屋のベンチに、手錠のまま座っているだけだ。人権もへったくれもない。

 法律論から言えば、確定判決までは無罪が推定されなければならないのに、だ。

 

 隣の房では中年の被疑者が、「オヤジー! オヤジー!」と看守を呼んでいる。

 警察官や刑務官を親父と呼ぶのは、懲役の経験者だ。

 旭川で逮捕されたときには護送のバスが午前午後の2便あったのに、何でここでは1日1便なのかとわめいている。

 看守も、「それは私たちに言われてもどうにもできない。弁護士に外から言ってもらってくれ」と、困惑顔だ。

 

 しかしまあ、ここにいると、「時間」の意味が分かるような気がする。今までなんと、時間を無駄にしてきたことだろうか。

 私はおそらく、獄中で誕生日を迎えるだろう。思えばここ10年は、ひどい年月だった。

 心機一転、今後10年はよいことだけを考えて生きよう、そんなことを考えた1日だった。


  

 【余白メモ】

 

 おやつ食えず     110(特定商取引法違反)は連日の調べ。

 私はあったりなかったり。あっても短い。

 


 【過去の過ちを振り返って】

 

 日本国憲法上、「公務員による残虐な刑罰は禁止」され、「自己に不利益な唯一の証拠が自白である場合には、証拠採用されない」。

 刑事訴訟法上、供述に先立ち、黙秘権が告知される。


 自供の任意性を確保するための規定だが、実際にそんなことをやっていては、誰も自供しない。

 検事は幅広のひじ掛けイスで、木製の高価そうな机。

 被疑者はパイプ椅子で、スチール机。5日に1度の入浴しかできないボサボサ頭のままだ。

 第一声から、馬鹿だのアホだの人間のクズだのといった罵声が飛ぶ。

 意図的に「立場の差」を作り出し、唯々諾々と従わせるお膳立てがなされる。

 「俺を不機嫌にするとどうなるか分からないぜ」という暗黙の圧力を掛け、「作文」に署名させるわけだ。

  

 警察調べは逆だ。

 飲み物を出してくれたり、唯一の理解者であるかのような雰囲気を醸し出して、自供させる。

 させるというよりは、「刑事さんのために」、話したくなるような感じだ。

 

 かつて警視庁には、平塚八兵衛という名物刑事がいたが、平塚の取調べは暴力による脅しが主体で、殴る蹴るは日常茶飯事、被疑者は「あの刑事だけはやめてくれ!」と懇願したという。

 平塚は、エースと呼ばれてはいたが、捜査はそれほど上手くない。現実に、満を持して平塚が投入された三億円事件は、解決しなかった。

 また、当時の風潮だった暴行・脅迫によって取られた調書は、のちに「任意性に疑いあり」として、数々の無罪判決を生んだ。

 

 そして窮余に立った、現代警察の捜査手法の申し子が、北芝健だ。

 元警視庁刑事、北芝健氏は「利己心を極限まで突き詰めたものが犯罪である」と言う。

 極限の利己心のかたまりである犯罪者が、23日間という時間的な制約の中で、素直に口を割るのはなぜか。実際に刑事の取調べを経験した身からすれば、ああなるほどな、と思うが、素人が説明するのは案外難しい。

 

 北芝氏の著作は、現代日本警察の取調べ手法を知ることについても、またこれからの私の日記を深く楽しんでいただくためにも、最良の書となるだろう。


 何はともあれ、北芝健「落としの技術」をご一読いただくことを勧める。

 警察が「取り調べの可視化」を強硬に拒むその理由も、本書から明らかになるだろう。

       

 

                                                                                                                                                                                              「落とし」の技術―いかにして、相手の本心を見破るか