||Φ|(T|T|)|Φ||    監獄☆日記    ||Φ|(T|T|)|Φ||

        いちばん大切なのは、「知る」ということだ。  By 村上龍    



            題字

             題字 : 同房の不法滞在中国人による


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加藤よ、生き続けて語れ。

加藤智大に死刑判決が下された。

普通に、平和に暮らしていた7人の人の人生を奪った罪は、万死に値するだろう。


だが、加藤。

君はすべてを語ったのか。


「掲示板への嫌がらせを止めてほしかった」「反省しています」

そんな薄っぺらい理由で、君が震撼させた「社会」は、納得するのだろうか。


加藤。控訴せよ。

たとえ控訴審が死刑であっても、それまでの間、生き続けて語れ。


生き恥を晒すより、死んだほうが楽だろう。

だが君は、生きて語るべきだ。


どういう境遇が、君を追い詰めてしまったのか。

君はいったい、何を考えていたのか。

「社会」の姿がどうあれば、君は凶行に走らなくて済んだのか。


君が遺す言葉で、私たちはいろいろなことを考えることができる。

君のような不幸な人を出さない社会づくりのために。


加藤。

控訴して、生き続けて、語ってほしい。

そしてできるだけ多く、君の言葉を遺してほしい。


君が逝ったあとの社会に、多くのヒントを遺すこと。

それは君にとっての、贖罪でもあるのだから。

酒井法子逮捕

留置場の生活ならこちらへ(爆)

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

「更新はしない」と書きましたが、まぁ正月なので…。

チェックしていただいたあなたへの、ささやかなプレゼントです^^


おかげさまで元気です。

今年はノロにやられることもなく、(元)保護司さんのところに挨拶に行ってきました。


おせちとごはんを持たせてくれました。

いや、期待して行ったのではないのですが…(笑)

「何も正月らしいことをしていない」と言ったら、持たせてくれました。


(元)保護司のご亭主がおっしゃるには、「今年はえらい(大変な)年になるぞ」ということです。

その不吉な予感を裏付けるかのように、娘さんの旦那の親が、正月早々くも膜下出血で倒れたとか。

またご亭主は、近所の神社の世話役もやっているのですが、賽銭箱の中、横一列にボンドが垂らされるイタズラをされていて、お札を入れた人は全部それが貼り付いてしまったのだとか。


んまぁ…。

世の中大変みたいですけど(私だって楽ではないです)、ただこの5年ぐらいで起きたことに比べれば、私にとってはこれより下はないんじゃないでしょうか…。


今年はいい年にしよう、という意志が大切なのだと思います。

皆さんも、いい年にしてください。


それでは(^^)/~~~



||Φ|(T|T|)|Φ||    監獄☆日記    ||Φ|(T|T|)|Φ||-osechi

みなさん本当に本当にありがとう。

 23時過ぎに、保護司の家に行きました。

 大晦日でもあるまいし、老人に夜更けまで起きていてもらうのは気が引けたのですが、私がそう希望したのです。

 

 よもやま話に花が咲きました。

 2週間に1回保護司と面接しなくてもよくなる「仮解除」が、結局私の場合なかったというと、「成年の場合はまずない」という話でした。

 少年刑務所から出てきた少年の場合には、3ヶ月くらいで解除になるということでしたが…。

 

 途中で、ご亭主がトイレに起きてきました。

 「ご挨拶したい」と言うと、保護司が「お父さん」と呼び止めてくれて、ご亭主は私の正面にパジャマ姿で座りました。

 いろいろお世話になりました、と頭を下げると、「まぁ本人の力だと思うよ」と言ってくださいました。

 「1人ではここまで来られなかったと思います。いろいろと先生(私は保護司をそう呼びます)に、事あるごとに話を聞いていただけたから…」と言うと、「あなたは真面目だからきっとこの先はだいじょうぶだと思う。強く生きていって」と、静かに言われました。

 はい、と返事をすると、「じゃあ」と77歳のご亭主は、寝に戻って行かれました。

 

 23時55分になり、NHKテレビをつけました。

 時報を見るためです。

 

 2人とも黙りがちになり、所在なくテレビを見つめていました。

 手元の電波時計に目を落とすと、2分前。

 

 4年前、勾留されていた警察署を釈放されて挨拶に戻ったとき、再任用されて留置場係をしていたオッサンに、「4年もつかぁ?」と笑いながら言われたことを思い出して、もったよオッサン、と毒づきました。

 

 やがて番組が静かにフェードアウトして、画面が切り替わり、ニュースが始まり……。

 アナウンサー。

 「日付が変わり、○日になりました。ニュースをお伝えします」

 

 私は1つ、静かなため息をつきました。

 保護司は一言、「おめでとう」と言いました。

 

 少しだけ話をして、すぐに席を立ちました。

 翌日の仕事に障るからです。

 

 ガラガラと玄関の引き戸を開け、保護司に向き直り、「ありがとうございました」と頭を下げました。

 保護司は、いつもと違う一言を言いました。


 「もう、自由なのよ」と。

 

 静まり返った夜道に自転車をこぎながら、「自由」の意味について、考えました。

 俺にとっての自由とは、何だろう?

 

 「2週間に1度」の面接を、受けなくてよくなったこと。

 「遵守事項」を守らなくてよくなったこと。すなわち善行を保持しなくてよくなったこと、いやこれは違うな。

 1ヶ月以上家を空けるときに、保護観察所の長に届けなくてもよくなったこと。

 「心理的な引け目」が、いくぶん緩和されたかもしれない。

 

 そんなことを考えながら家に着いたときには、4年前には分かっていなかったことを、深く実感できていました。

 自由と責任は常にセットである、ということです。

 

 家に帰って寝るときにも、翌朝起きて仕事に行くときにも、帰ってきてからも、数日が過ぎてからも。

 取り立てて、私の心境に変化はありません。

 過去からの道を、引き続きゆっくりと、未来へと歩いていくだけで。

 ただこの4年間、逮捕勾留期間を含めれば、5年近い時間で学んだことを、少しでも生かせたらいいなと思いました。

 

 これで「監獄☆日記」は、やっと終結です。

 読んでくれた皆さん、あたたかいコメントを寄せてくださった方々、

 本当に本当に、ありがとうございました。

 

 心残りは……。

 ビッグダディの評論ができなくなることかな(笑)

 

 私は、がんばって生きていきます。

 皆様にも、よきことが雪崩のごとく押し寄せますように。

みなさん本当にありがとう。

 私の4年に及ぶ保護観察期間が、もうすぐ終わります。

 最初こそコメント欄が荒れたこともあったものの、暖かく見守ってくださった皆様に、あらためて感謝申し上げます。

 

 先日、保護司の家で見たパンフレットを見て、思わず涙を流しそうになりました。

 「人は、変わることができる。そう信じることから、更生保護はスタートします」。

 

 更生できるのは、少年だけではありません。

 いつからでも、どこからでも、人間は変わることができます。

 適切な、他者との関わりがあれば。


 身近な人は、ぜひ「おかえり」を言ってあげてください。

 更生できる未来への、希望のために。

 

 駆け込みで、40,000カウンターを回すこともできました。

 ユニークユーザーしかカウントされないようですから、リピートしてくださっている皆様の分を合わせれば、20万PVはあったと思います。

 それも、感無量です。

 

 執行猶予期間が終わると、「刑の言い渡しがなかったことになる」のだそうです。

 その意味が私にはよくわかっていないのですが、きっと大きなことなのでしょう。

 

 本当に終わったら、あらためてご報告します。

 4年間もつたないブログを応援してくださって、本当にありがとうございました。




kouseihogo



 


前科者が就職するには

 このブログへのアクセスを解析してみると、「前科者の就職」というような検索ワードで入ってこられる方が、非常に多いです。

(次に多いのがテレビ番組名です。不本意ですが笑)

 

 それは、留置場や拘置所からの釈放、あるいは刑務所からの釈放時点で、「前科者は就職できるのか」あるいは「就職はどうすればいいのか」といった不安を持っておられる方が多いということでもあるのでしょう。


 たしかに、裁判で執行猶予付きの判決が出れば、「その時点でポイッ!」です。

 迎えの人も交通費もなく、国選弁護人に千円だけもらって帰る人を見たこともありました。

 たしかに、これでは迷うでしょう。

 

 警察も裁判所も弁護士も、「まずはどうしたらいいのか」ということすら教えてくれないし、“不幸にも”保護観察の付かなかった事案であれば、保護観察官や保護司の指導を受けることもないので、どうしたらいいのかがまったくわからないに違いありません。

 そこで「前科者の就職」ということについて、まとめてみます。

 

 出所後すぐ、住むところのあてもないし働くあてもないというときには、迷わず住所地(住民票のあるところです)の福祉課に、生活保護の受給相談に行きましょう。

(この部分訂正。新聞によれば、生活保護の受給は住所地でなくともよいということです)

 またすぐ再犯して、刑務所に逆戻りなんていうことにならないためにも、まずは住居と生活の安定が必要です。

 おそらく事情が事情ですから、最優先で保護が開始されると思います。

 

 ただし、この制度に安住してはいけません。

 次に考えるのが、働いてお金を稼ぐことです。


 働かないでお金がもらえて、しかも医療費もタダ。

 でもなぜ、そのままではいけないのでしょうか。

 

 生活保護というのは、もらえるお金が絶対的に少ないんです。

 ほしいものも買えないし、遊びに使えるお金もない。

 生来的な遊び好きや、ギャンブル好きの人はどうしますか?

 そのお金を調達するために、また何か犯罪をしてしまうのではないでしょうか。

 そのリスクを減らすためにも、なるべく早く働き始めたほうがいいと思います。

 

 それに、病気のために生活保護を受けている人を個人的に知ってますけど(サエキさん、過去ログ参照)、外食するお金もないような状況で、生きてて楽しいでしょうか?

 ただ「生きているだけ」の人生なんて、味気ないと思います。少しでも、自分の自由になるお金がないと。


 話が横道にそれましたが、実際に職探しをするためには、どうしたらいいのでしょうか。

 ますは最寄りのハローワークに行きます。

 

 ここでの注意点ですが、受付を通して通常の職探しをするのではなく、最初から「専門援助部門」を訪ねてください。

 全国どこのハローワークでも、「外国籍の方・障がい者の方」といったようなことが書かれた案内板が、天井からぶら下がっているコーナーがあるはずです。そこが専門援助部門です。

 そこを訪ね、「刑事事件を起こして失職してしまった」などと申し出てください。

 すると専任の係員が、あなたについて個別の資料を作成してくれ、一般の求職者よりもはるかに手厚い就職支援を受けることができます。

 人に言いたくない事情もあるでしょうが、包み隠さず話してください。

 公務員には法律による守秘義務がありますから、ここで話したことが外部に漏れることはありません。

 きっとあなたに最適な職場を、見つけてもらうことができるはずです。

 

 そして新しい職場で働くことが軌道に乗ったら、生活保護は支給停止(一時保留)を経て廃止になります。

 ようするに、経済的に自立するのです。

 一所懸命働いて、まじめに過ごし、悪友とは関わらず、もう一生犯罪とは縁のない生活を送ってください。

 

 「前科がばれることはないのか」という不安について、お答えします。

 氏名をネットで検索できるぐらいに大きな事件であれば、ばれることはありえます。

 またある程度大きな企業であれば、採用にあたって身元調査を行なうかもしれません。

 こればかりは、「運」も大きいでしょう。

 

 これについては、「それでもボクはやってない」の留置係警察官役の徳井優が、示唆に富んだことを言っています。

 「そんな人はいっぱいいるんだし、黙ってればわからないって」。

 

 しかも、「前科者であることを承知の上で雇用する」協力事業主という人がいます。

 肉体労働が主のようですが、体が丈夫ならそういうところで働くのも有効です。

 

 だいたいお分かりいただけたでしょうか?
 頑張ってください。


参考エントリ

前科者の就職

前科者の就職(2)

北京五輪が閉幕した。

 北京五輪が閉幕した。

 それほど熱心に見ていたわけではないが、終わってみると、虚脱感だけが残っている。

 勝つ、あるいは善戦すると思っていたものが、アッサリ負けたからだ。

 

 星野JAPANにしても然り、オグシオにしても然り。

 サッカー日本代表にしても然り、福原・平野ペアにしても然り。

 

 それにしてもなぜ我々は、さしたる根拠もなく、彼らがメダルを獲って帰ってくると思ったのだろう。

 第一義的には、マスコミの報道に踊らされたのだ。

 

 星野JAPANには主将宮本を中心とした一体感がある、オグシオはかわいいだけじゃなくて強い、愛ちゃんは天才卓球少女、サッカー日本代表はトップ選手の集合体…。

 好きな人だからあまり悪口は言いたくないが、星野監督も壮行会で「絶対メダルを持って帰ってくる」と言っていた。

 

 欠けていた視点は、「彼我の戦力の冷静な分析」である。

 「日本チームはA国と比べてこの点が勝っているがこの点は弱い」、「ここをカバーすれば勝機はあるが、そこを責められたら状況はまずいだろう」とか、そうした視点からの報道がなされなかったのである。

 サッカーW杯のようなお祭り騒ぎでも、いつでも繰り返される、日本人のクセのようなものだ。

 

 そうして盛り上がって、根拠もないのになんとなく勝てるような気がしてくる。

 カミカゼが吹くかも、なんていう、妙な期待を抱いて。

 結局負け戦に終わって、いま残っているのは「何だったんだろう」という虚脱感である。

 

 こうして書いていて、自己嫌悪に陥ってきた。

 実はあの戦争を経ても、われわれのDNAは何も変わっていなかったのかもしれないな、と。

 そのくせ、こと経済に関しては悪い予測ばかりを並べたがる。

 まだ起こってもいない経済不安を予測して、毎日不安がっている。

 

 日本人のメンタリティって、いったいなんなんだろう。

安全幻想を広めた犯人

 いま思いつくだけでも、いわゆる「健康番組」と言われるものは山のようにある。

 た○しの本当は怖い家庭の医学、主治医が見つかる診○所、カ○ダのキモチ……等々。

 

 するとその番組に、「医療関連産業」が、スポンサーとして大挙して群がる。

 経鼻内視鏡を開発・発売したメーカー、痛くない注射針やプレフィルドシリンジを発売しているメーカー、国内・国外、先発品・後発品もろもろの製薬会社。

 製薬会社にいたっては、直接に製品名を出したり、効能効果を謳ったりすると薬事法に触れるから、「こうした症状があったらお医者さんに行きましょう」とか、「うつは治る病気です」とか、婉曲かつ巧妙に自社製品の使用を促している。

 番組においては「○○病の可能性もありますからぜひお医者さんで検査を受けてください」、CMでは「それは病気ですから服薬治療が必要です」と、視聴者は番組内容とあいまって、巧妙にその「病気に対する恐怖心」「健康に関する不安感」を煽られている。

 

 しかし診察を受けたり、検査を受けたり、薬局で薬をもらったりすれば、それは財政出動を伴う。

 要するに、ただでさえ困窮している医療財源を、さらにひっ迫させるわけだ。

 

 国は、「がん難民」と呼ばれる人びとを出すほどにまで、医療財源の蛇口を絞りに絞っているから、国が現状の「安全幻想」の主導者であるとは考えにくい。

 むしろ取り立てて症状もないのに、番組やCMを見て不安を煽られ、「病気ではないことを確認する」だけのために病院に行く人が増えて、「○○疑い」と病名が付いて、医療財源が湯水のように出て行く状況など、国は死んでも作りたくないはずである。

 では、この矛盾する状況は何を意味しているのだろうか。

 

 それはおそらく、「医療関連産業」の暴走である。

 さらに言えば、外資系製薬会社の“たくらみ”から、日本の医療関連産業全体が暴走し始めたのではないかと私は考える。

 

 私の記憶が正しければ、新聞の全面広告やテレビCMなどで、華々しく「お医者さんに行きましょう」などと宣伝され始めたのは、外資系G社のSSRI系抗うつ薬「P」からだ。

 「P」の日本発売年は、2000年である。

 それから雪崩を打つように、外資内資であるとを問わず、やれ爪の水虫だとか、高血圧だとか、慢性腎症だとか、社会不安障害だとかの医薬品や、内視鏡、注射針、充填済みの注射器などの広告が、あふれんばかりに登場するようになったのである。

 そして前回述べたように、こうした一連の広告には、「医療に伴う危険性」は爪の先ほども述べられていない。

 

 「どんどん病院に行きましょう」ということと、「医療は安全で健康を保証する」という刷り込み。

 そう思い込んで病院へ行く人が増えれば増えるほど、薬剤の消費量は増え、検査機器や治療材料は売れる。

 これが、現在の日本に蔓延する「医療安全幻想」の正体ではないか?

 

 かつての日本人の価値観は、あくまで健康が日常で、病気は「非日常」だった。

 平穏な日常の中で突発的に生じたトラブル、「病気」も「病院」も「医薬品」も、そうしたイメージだった。

 それが現在では日常と非日常が逆転し、何らかの病気を疑いながら生活するのが当たり前になっている。

 この転換点は、いつだったのだろう?

 

 私は医療関係者ではないのでよくわからないが、医療関係(特に病院勤務)の方々は、「2000年ごろから」という感想をお持ちではないだろうか。

 もしそうだとすれば、以上の仮説の信憑性は増す。

 

 「医療安全幻想広告」を信じ込んだ国民が、「医療は安全で確実」との確信を抱いて病院を訪れる。

 しかし現実の医療は、安心でもないし完全でもない。

 その医療者と患者の間の「危険性の認識のズレ」が、かつては見られなかった類の数々の対立を生み出してもいるのではないか。 

 

 恐ろしいのは、財政出動を嫌うはずの国が、この状況をコントロールできていないことである。

 メーカーにより人為的に作り出された「安全幻想」の中で、一線の医師が疲弊し、患者は患者でいら立ちをつのらせている。その意味では、医師も患者も「状況の被害者」なのである(厳密に言えば医師は患者が増えることで得をしているから、患者の被害のほうが大きい)。


 「医療関連産業」を相手に、いくら意識の高い真面目な医師であっても、1人で立ち向かえるだろうか。

 無理であれば徒党を組んで、「この状況はおかしい!」と声を上げてほしい(出入りのMRに愚痴るぐらいじゃダメですよ)。

 繰り返しになるが、「医療は安全でもないし確実ではない」「そもそも医療は危険なものなのだ」ということを周知徹底させることにしか、現在の状況の打開策はない。

 もしそれができなければ、この先に待っているのは、マイケル・ムーアの「シッコ」に描かれたような“医療制度の破綻”である。

 

 医師がエビデンスのないことを嫌うのは承知しているが、この仮説について、ぜひとも感想をお伺いしたいと思う。

県立大野病院事件(「医療不信」に関する一考察)

 福島県立大野病院の出産時産婦死亡事件に、裁判所の判断が下った。

 患者の遺族と医師の主張が真っ向から対立したが、その焦点は双方の「医療に伴う危険性の認識のズレ」にあったと思う。

 そうした「危険性の認識のズレ」は、患者の視点から見た場合には、「医療に対する不信感」の一因となる。

 今回はそのことについて考えてみる。

 

 まず、どういう状況で医療不信が起こるかということについて考えると、「医療の結果や経過が思っていたものより悪かった」という場合に、医療不信が起こるといえる。

 医療不信を惹起した事件は、最近では福島県立大野病院事件や東京女子医大事件、杏林大割りばし事故事件、日本医大ワイヤ事件等だから、こうした設備とスタッフの整った地域中核病院や医学部付属病院での医療が「思っていたものより悪かった」ということは、日本人が思い描いている医療の「安全性」が相当に高いレベルにあるということの裏返しでもある。

 

 しかし日本人が医療を安心で安全なものと思い込むようになった理由を、例えば「日本人の死生観が変化した」などというように、患者の側に求めることに私は反対である。

 日本人が医療を安心なもの、完全なものと思い込むようになった大きな理由には、「医療関連業界挙げての印象操作」があったと思うからだ。

 

 例えば「細径のデジタル内視鏡」 に関する広告では、「苦痛が少なくてデジタルだから画像が鮮明、信号処理で小さな病変も発見できる」などと謳う。

 しかしそこでは、検査自体で器官を損傷する可能性や、スキルスなどの特殊な病変を発見できない可能性など、マイナスの面については触れられていない。

 筑紫哲也や鳥越俊太郎のガンを発見したということで話題の「PET検査」にしても同様で、PETで見つけられないガンもあるということは、前提として語られていない。

 製薬会社の広告では、病変写真を載せたり、症状を列挙して、「こうした症状があればお医者さんにいきましょう」 と煽る。

 まるで薬を飲めば治ると言わんばかりだが、副作用の可能性や、薬が奏功しない可能性もあるということについては触れていない。

 

 当の医師たち自身も「日本の医療は世界最高水準」であり、「世界一の長寿は医療の発展による」と言い続けてきた。

 たしかにそれはそうなのだろうが、その反面で誤診があったり、ヒューマンエラーがあったり、術中死や手術直接死があったり、看護における医療事故があったりといった、すべての医療行為には当然に内包されるはずのリスクを、あくまで「例外」として、国民の目の届くところに置いてはこなかったという経緯がある。

 

 私が挙げたのはあくまでごく一例に過ぎないが、このような医療に関する印象操作が長く行なわれてきた中で、日本人は「医療は安全で完全なもの」と「思い込まされてきた」のではないかと思う。

 そうした状況下では、病気になってインフォームドコンセントを受けたり、医療事故の当事者となったりして初めて「医療にはリスクもある」ということを知らされるわけだから、もし思わしくない経過や結果に関して立腹する人がいたとしても、それは当然のなりゆきなのではないだろうか。

 危険性を感じさせる情報からは遠ざけられ、医療は安全であると思い込まされている人が、ある日突然「実は危険なんです」と知らされるわけだから、それが単なる医療者の言い逃れにしか聞こえずに、「話が違う」と立腹する人がいても、それは至極当然であろうというわけだ。

 

 今回の福島県立大野病院の事件の本質は、まさにそうした医療者側と患者側の「医療に伴う危険性の認識」が乖離していたがゆえの紛糾である。

 医療者側に言わせれば「しょせんは素人だから」「専門知識がないから」ということになろうが、私はそうではないと思う。

 日本人が素人だから問題の本質がわからないのではなくて、思い込まされてきた医療の安全性を前提としているから、本質にたどり着けないのである。

 要するに今日の「医療不信」は、「国民の医療に対する無知」に起因するわけでも、あるいは「死生観の変化による自分が不死身であるかのような錯覚」に起因するわけでもなく、まずは「安全性ばかりを強調しすぎた医療界の戦略」に最初の問題があったのではないかと思う。

 小松秀樹が「医療の限界」において、「医師側も安易なリップサービスをやりすぎたところがあります。患者に安心・安全の幻想を振りまきすぎました(23頁)」と、わずか2行にも満たない文章で姑息に言い逃れたことこそが、今日の混迷の最初にして最大の原因であるわけだ。 

 

 国民は、普段は甘い顔をしておきながら、いざ問題が発生すると途端に冷酷な一面に豹変する「医療」という「怪物」を、もはや信用していないのではないだろうか。

 冷酷な一面に豹変するとは、東京女子医大事件にみられるようなカルテの改ざん、虚偽説明のようなありとあらゆる手立てを講じて、自分たちを有利に、患者を不利に仕立て上げる姿勢のことだ。

 あるいは、普段は日常的に新しい治療法を喧伝して希望のみを伝え、実際に医者にかかって生命の危険が予測される場合になって、突然「医療にも限界はある」などと言い出す姿勢だ。

 そのようにしばしばみられる「医療の豹変」が、「医療者に激しい敵対心を露わにする患者が増えた」ということの、理由のひとつでもあると思う。しかし患者にしてみればそれは、医療という怪物に対しての「自己防衛本能の発露」にほかならないのではないか。

 

 職業医師と一般国民の間の「医療に伴う危険性の認識のズレ」を放置している限り、福島県立大野病院のような問題は、今後何度でも起こってくるだろう。

 国民が「医療行為に伴い通常考えられる危険性」を、真に身近なものとして理解しない限り、「どうにかできたはずだ」という怒りにも似た感情は引き続き噴出するであろうし、その持て余した感情は代理処罰への期待となり、捜査機関が医療現場に介入していくことを、さらに強く望むようにもなるだろう(当然だがこの捜査機関に対する期待には、医療界の身内に甘い体質や、隠蔽体質といったものへの「断罪」の期待が含まれる)。

 国民が望んだ捜査機関の介入は医療現場を萎縮させ、それはリスクの大きい診療科の忌避や、小松がいうところの「立ち去り型サボタージュ」を招来することになり、日本の医療をじわじわと崩壊させていくであろう。

 

 そうした状況の打開策は、2つある。

 

 1つは、医療関連業界みずからが「医療に関連する危険性は程度の差こそあれ、すべての医療行為に内包されている」ということを、あらゆる機会を捉えて、国民の目に触れさせることだ。

 それは「病院に行ったからといってすべての病気が治るわけではない」、「医療には命の危険が伴う」、「検査を受けたからといって病気が必ず発見できるわけでも、また治療を開始したからといって必ずしも治癒するわけではない」という、ごく単純な事実の周知徹底である。

 「そもそも医療行為は危険で不確実なものなのだ」という前提としての価値観が、日本中で共有されて初めて、医療をめぐる問題の国民的論議が可能になるのではないか。

 その効果は例えばゲフィチニブ投与のメリットとデメリットが冷静に話し合えるようにもなるであろうし、呼吸器外しや延命治療の是非が冷静に話し合えるようにもなるであろう。

 「前置胎盤」の危険性が、「当然ある」ものとして理解されるようにもなるであろう。

 このように「医療行為は安全でもないし確実でもない」ということを周知徹底させることのメリットには、計り知れないものがあると思う。

 

 もう1つは、「医療安全調査委員会(第三者委員会)」を、早急に設置することである。

 第三者による紛争事例の専門的な検討は、行なわれた医療の透明性を確保し、患者に対しては公平性を担保するが、それだけではなく、この制度は「患者の医療者に対する性急な告発」の抑止力としても機能するだろう。

 ただしこの委員会には、「不審が認められる場合の捜査機関への通知権」を、必ず与えなければならない。

 「捜査機関が介入すれば現場は萎縮する」などと言って医療界は猛反発しているが、「手段としての刑事事件化」がなければ、明らかな医療過誤であっても、委員会の段階で闇に葬られてしまうからだ。

 抗がん剤を10倍量投与して患者を死亡させた医師がいたり、点滴に牛乳や消毒薬を混合して患者を死亡させた看護師がいたりなど、ときどき信じがたいようなミスを起こすのが日本の医療界である。

 だから「手段としての刑事事件化」がなければ、国民の医療安全は担保されずに、悪い言い方をすれば医療者の「やりたい放題」になってしまう。

 そもそも「捜査機関の介入による現場の萎縮」と、「医療ミスとその結果に対する責任」は、まったくの別物であるはずだ。明らかなミスにより患者を危険に陥れた医療者は、その責任は負わなければならない。

 

 逆に言えば現状では、「捜査機関への通知権が認められた第三者委員会」が設置されない以上、捜査機関は医療現場への介入に及び腰であってはならないと私は考える。 


「誰でもよかった」のはあたりまえ

 加藤ら「大義なきテロリスト」たちが一様に口にする言葉に「誰でもよかった」というのがあって、その言葉が意味する無差別ぶりに社会は恐怖しているようだ。

 

 だが「大義なきテロリスト」の犯行動機が、宮部の言うように「忿懣の、爆発的かつ凶暴な力での清算」だとしたら、「誰でもよかった」のは、むしろあたりまえなのではないだろうか。

 「自分の希望が奪われた」という忿懣は、あくまで「社会全体を発生源として自分に生じた怨念」であって、その「社会全体に対する暴力的な清算」は、特定の「誰か」や「何か」に向けられたものではないからだ。

 では、なぜその「暴力的な清算」の対象が、たとえば構造物や団体などではなく、「不特定の個人」だったのであろうか。

 

 加藤ら「絶望者」の一部は、自分の人生が思い通りにならない強大な不満から、思考が極めて視野狭窄的になっていた。

 しかもその「強大な不満」を抱くことになった理由には、一部の強者が富を寡占する「格差」や、「超就職氷河期に生まれてしまったこと」、「日雇い派遣の蔓延」といった、努力したところで報われない、自分ではどうすることもできない外部的要因が大きかった。

 そうした外部的要因に翻弄されたあげく、「自分の人生が軽いように、他人の人生も軽い」という、誤った結論を導き出すことになった人たちが、「人間を対象とした大義なき自爆テロに走った」ということが、一連の事件の本質のように私には思える。

 

 ある意味それは現代の「働く貧困層」の一般的な認識であり、だからこそ加藤がネットにおいて「神格化」されるほどの共感を得たのであろう。

 “良識ある”評論家などは、「若者よ、加藤を神格化するな」とか「うまくいかないことを他人や社会のせいにするな」などというような、もっともなことを言っているが、しかしそれは本質を見据えていない諫言であると私は思う。

 最大の問題は、現代を生きる人間が、従来ならば自分で解決してきたはずの「忿懣」を、もう自分では解決できなくなっているということなのだ。

 彼らが抱いている「絶望」は、酒をあおったり、カラオケで騒いだり、バッティングセンターで球を打って憂さを晴らせる程度の「忿懣」ではなくなっている、ということである。

 

 では無差別通り魔殺人への「スイッチが入る人間と入らない人間」はどう違うかということであるが、私の個人的な考えでは、それは「親しい他者の有無」が大きいのではないかと思う。

 理解ある親や親友、恋人、あるいは保護司といった「親しい他者」を持つ人間は、そのコミュニケーションを通じて、自分の内部に滞留したエネルギーや悪しき考えを、適切に放出したり軌道修正したりできるが、彼らには「親しい他者」がおらず、それゆえ、視野狭窄的で極端に暴力的な思考に陥ってしまったのであろう。

 「自分以外の外部」に、自分の人生を文字通り踏んだり蹴ったりに蹂躪されたあげく、「視野狭窄的で極端に暴力的な思考」を持つようになり、孤独あるいは孤立ゆえにそのエネルギーを適切に放出したり、軌道修正することができず、ついに通り魔殺人へのスイッチが入ってしまったのである。

 

 何週間前だか忘れたがフジ系の「サキヨミ」で、「加藤らは“特殊な人間”か“普通の人間”のどちらだと思うか」という投票アンケートがあって、4:6ぐらいの割合で“普通の人間”という回答が上回っていた。

 結果はともかくとして、実はこのような設問にはあまり意味がない。

 どんな場合でも犯罪は「正常なるものからの逸脱」であるものだから、その意味では犯罪者は常に「特殊」だからである。

 ついでに言えば、「普通の人間が唐突に信じられない事件を起こす」というような趣旨の報道は、無用な社会不安を煽るだけであって、弊害のほうが大きい。

 それよりも問題にするべきは、現代では「普通」と「特殊」を隔てる垣根が、あまりにも低くなっているということなのだ。

 

 仮に相談できる親しい他者がいなくても、一緒に憂さ晴らしができる友達がいなくても、社会に「希望の光」さえ見えていたなら、彼らが極端な「忿懣の、爆発的かつ凶暴な力での清算」に走らなかったであろうことは、強く推定できる。

 逆に言えば、「普通」と「特殊」の間の垣根を恐ろしいまでに低くしているのは、現代社会に蔓延している「再生不能な絶望」なのである。

 

 「これから先、お前たちが背負って生きぬいていく社会には、“本来あるべき自分になれない”“本来持つべきものが持てない”という忿懣(ふんまん)を、爆発的に、凶暴な力でもって清算する――という形で犯罪をおかす人間が、あまた満ちあふれることになるだろう」


 という言葉の後に、本間はこう続ける。


 「そのなかをどう生きてゆくか、その回答を探す試みは、まだ端緒についたばかりなのだ」

 

 繰り返しになるが、宮部がこの言葉を記したのは1990年だ。

 18年前にも、現在のこの状況は「見える人には見えていた」ということである。

 

 こういう状況になるのはずいぶん前からわかっていたはずなのに、何もしなかった人たちの責任は、限りなく重い。 

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